狭いという幸せ

珍しく早く帰宅した夜だった。夕食後妻は台所で洗い物をし、私はリビングでウイスキーを飲んでいた。ふいにその時「あ、家が広い」と感じた。人生で初めて味わう感覚だった。思えば結婚以来、家と言えば狭さとの闘いだった。娘がひとりふえ、ふたりふえ、それぞれが成長する間、私たちは少しでも広い空間を求め、引っ越しを繰り返して来たのだ。娘たちが独立し、主を失った部屋はシンと静まり返っている。そのドアを見ながら私は思った。家が狭いと感じるのは、家族が身を寄せあってけん命に生きている証であり、それはそれでひとつの幸せの形なのかもしれない。そしてこれからの私たちの人生とは、その空いた場所を夫婦で静かに埋めて行くことなのだ。リフォームするか。胸にそんな想いが浮かんだ。

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