都市の静けさを包み込むインテリア─ 『ロスト・イン・トランスレーション』に見る余白のデザイン

「暮らしをデザインする」11 (Feb. 2026) 映画とインテリア ─ 空間が語るもう一つの物語(第2回)

2026年02月12日 / 『CRI』2026年2月号掲載

エッセイ

目次

日本のラグジュアリーホテルの歴史を語る時、パークハイアット東京は決して外せない存在だ。1994年の当時は『ラグジュアリー=重厚で華やか』という価値観が支配的だった。その中で、ジョン・モーフォード(John Morford)が設計したここは、「静けさと時間の深み」を中心に据えた、まったく新しいラグジュアリーを提示した。

モーフォードは、素材の質感、照明の色温度、家具と壁の間の「間」までも徹底して設計した。花の位置、アートの高さ、書棚の並べ方に至るまで彼自身が決め、ホテル完成後も現場に立ち、時間帯による光の変化まで監修したという。客がホテルの中を歩く時――玄関からロビー、ラウンジ、そして客室へ。その移ろいの流れ自体が、まるで映画のシークエンスのように緻密に構成されていた。開業当時、私はまだ20代でしたが、何度もこのホテルを訪れては空間の力を体感した。デザインの醸す静けさ、緻密に計算された構成、そしてシークエンスの変化の巧みさ――その全てに感動した。それは今も私の美意識の基本となり、最も影響を受けたホテルデザインである。

ソフィア・コッポラ監督の映画『ロスト・イン・トランスレーション』(2003)は、このホテルを舞台にしている。

異国・東京を舞台に、孤独を抱えた男女が、言葉ではなく静寂の中で心を通わせる。映画と建築には、いくつもの共通点がある。どちらも「時間を扱う芸術」であり、シーンの積み重ねが物語を紡ぐ。映画では編集が物語のリズムをつくるように、建築でも「動線」や「光の移ろい」が空間のテンポを生む。たとえば、ロビーからラウンジへ、ラウンジからバーへ。視線の抜け方、照度の変化、足音の響き方が少しずつ変化し、人の心は自然に静まっていく。その体験はまさに、映画でシーンがつながっていく時の「編集」に近い。一つの部屋を完成させることよりも、その部屋が“前後の時間”とどうつながるか。そこに建築のドラマが宿る。

そして30年の時を経て、パークハイアット東京は大規模なリニューアルを迎えた。実際にその空間を訪れて感じたのは、モーフォードが築いた静寂の美学が確かに受け継がれながら、そこにより柔らかく、成熟した色気が静かに重ねられているということだった。

ぜひ、その空間を歩きながら、光や素材、空気の変化として体感してほしい。そこには、時間を重ねたホテルだけが持ち得る、静かで豊かな余韻が確かに存在している。建築も映画も、時間を経てなお、記憶の中で更新され続ける。

『ロスト・イン・トランスレーション』が描いた都市の孤独と静寂、モーフォードが設計した静けさの美学、そこにジョアン・マンクによって華やかさと色気が加わり、現在のパークハイアット東京がまとう穏やかな余韻。
それらは異なる時代の表現でありながら、一つの長い空間のシークエンスとして、確かにつながっている。

静けさをデザインするということ。それは、空間を通して人の心の速度を整え、時間の感じ方そのものを編集し続ける行為なのだと思う。

池貝 知子いけがい ともこ

株式会社アイケイジー 代表取締役 / 建築家 / デザイナー
東京生まれ。日本女子大学家政学部住居学科卒業。松田平田坂本設計事務所(現:松田平田設計)を経て、2006年アイケイジー設立。建築設計、インテリア、アート、植栽計画からメンテナンスに至るまで、空間にまつわる全てをプロデュースする。
16年 JCD デザインアワード 金賞+近藤康夫賞(二子玉川 蔦屋家電)、22年GOOD DESIGN AWARD(遠藤照明ショールーム)など、受賞多数。