古いRC造住宅から考えること
2025年04月30日 / 『CRI』2025年5月号掲載
目次
古いRC造住宅の取材が相次いでいる。日本最古のRC造住宅は1916年に端島(軍艦島)に建てられた30号棟。日本初のRC造オフィスビル建設から5年後に竣工しており、当時、炭鉱労働者の確保がどれほど重要だったかを教えてくれる。端島の過酷な環境下では木造住宅は風雨の度に壊滅。人材確保のためにはRC造の快適な住宅が必要だったのである。
戦前のRC造住宅としては関東大震災からの復興支援として1924~1933年にかけて東京、横浜に建てられた同潤会アパートが有名だが、すべてが2010年代までに建て替えられており、現存していない。
戦後復興にあたっても多くの公共住宅がRC造で建てられた。戦後初のRC造住宅は東京都営高輪アパート。1947年8月に計画決定、1948年5月に4階建て2棟、48戸が竣工しているが、1990年に早くも建て替えられてしまった。この頃の公営住宅は設計が標準化されており、高輪アパートは最古の「47型」。1947年度に設計されたものという意味である。
その後に建てられた「48型」は5都市で現存している。下関市営清和園住宅、広島市営平和アパート、福岡市店屋町アパート、長崎県営旧魚の町団地、そして建設年最古の静岡市営羽衣団地。このうち、旧魚の町団地は再生し、今後も使い続ける予定だという。
その次の代である「49型」でも福岡県内6都市に9棟建てられた49A型のうち、門司に残っていた福岡県営旧畑田団地が民間に売却され、現在、再生が始まっている。
それ以外にも日本初の東京都分譲マンション・宮益坂ビルディング(1953年竣工)、日本初の民間分譲住宅四谷コーポラス(1956年竣工、いずれも建替え済み)を見てきたが、振り返って思うのはRC造の躯体自体はまだまだ使えたかもしれなかったということ。
コンクリートの劣化状況診断、保存、長寿化に詳しい東京大学大学院工学系研究科建築学専攻の野口貴文教授は2011年以降、端島の建造物の調査に関わり、2015年には建てられた当初を100とした場合に現在の建物の耐力はどのくらいになっているかを目視による調査で5段階に分類し、建物の耐力、余命を推測した。
それによると30号棟は地震に対して建設時の2~3割の耐力しか残っておらず、震度4程度でも倒壊するだろうと予測したものの、1959年築と比較的新しい3号棟はほぼ100に近い状態だった。コンクリート、鉄筋、壁量などを現行の基準で測定しても、耐震指標の最低レベル程度は満たしていたという。
この測定から10年。端島は岩礁で地震でも大きく揺れることがないため、30号棟はまだなんとか現存。3号棟も手すりその他の損傷は年々増えているが、ちゃんと建っている。
端島は1974年に閉山。以降50年以上にわたって放置されてきた。人が住み続け、手入れされていれば、この環境でも100年以上は持つはずという野口教授の言葉から考えると、市街地に建つ住宅であればさらに持つのではなかろうか。
ただ、実際に数多くの古い物件を見てきた経験から考えると、浴室や電気容量、共用部分、その他主に設備的な問題から住宅として使い続けるには難しさがある。間取りも使いにくかろう。だが、幸いなことに近年は住宅を他用途で使う、使いたい、という
流れが顕著になりつつある。立地によってはそうしたやり方を探り、それに合わせた技術を開発していくことも将来、特に環境のためには必要なのではなかろうか。

住まいと街の解説者。40年以上不動産を中心にした編集、執筆業務に携わり、年々テーマは拡大中。
主な著書に『ど素人がはじめる不動産投資の本』(翔泳社)『「この街」に住んではいけない!』(マガジンハウス)『解決!空き家問題』『東京格差 浮かぶ街・沈む街』(ちくま新書)『空き家再生でみんなが稼げる地元をつくる「がもよんモデル」の秘密』『土地の価格から地域を読みとく 路線価図でまち歩き』(学芸出版社)など。宅地建物取引士、行政書士有資格者。日本地理学会、日本地形学連合会員。
株式会社東京情報堂