其の国の建築を代表するものは住宅建築である

「暮らしをデザインする」03 (Jun. 2025)

2025年06月04日 / 『CRI』2025年6月号掲載

エッセイ

目次

10年ぶりに数度目となるパリを訪れた。今回がこれまでと決定的に違う旅になったのは現地でインテリアショップ「BOLANDO」を経営する坂田夏水さんにご案内をいただいたため。実際の物件を内見したり、政府が管理する不動産売買価格と最近の取引情報が地図上で一元化されたアプリを手にまち歩きをするなど観光ではない体験ができたのだ。

そこで思ったのは住まいのあり方がその国の人達のものの考え方に大きく影響を及ぼしているということ。パリ市内、特に中心部の建物は第2帝政期のナポレオン3世時代に行われたジョルジュ・オスマンによるパリ改造以降、あるいはそれ以前のものが大半で非常に古く、建替えはほとんどされていない。新しい建物もあるがそれでも築100年くらい。

その建物の1階、場所によっては3階までは店、オフィスなどが入っているが、それより上階は住宅になっている。まちなかにも人が住み、店があるのだ。

古い建物のうちにはエレベーターがないものも多く、そうなると富裕な人はさほど階段が辛くない2階、3階の広い部屋に住み、お金のない若者などはかつて使用人が住んでいただろう最上階の安くて小さな部屋に住む。一つの建物の中に様々な層が住まい、同じ螺旋階段を使う。住まい自体が多様性、平等などという言葉を具現化しているのである。

比べて日本では低層階に店舗等が入った建物は下駄履きとネガティブな表現で呼ばれ、建物の用途が混在しないように用途地域が定められている。それ以外にも景観、建物の維持管理や個人と共用部についての考え方などいくつもの違いに気づいたのだが、その違いの背景には歴史や風土、暮らし方など多種な要素があり、表面だけを真似するには無理がある。

ところが日本では明治維新以降、ひたすらに欧米化が進められてきた。住宅では明治30年の「家屋」(幸田露伴著)以降、住宅改良運動が勃興。加えて近年は効率を重視するあまりだろうか、どんどん画一化が進み、住宅が無味乾燥な場になっているように感じる。

もちろん、欧米化で生まれたプライバシーや床座から椅子座への転換その他の変化を否定するわけではないが、どうしても日本らしい住まいとは何かを考えてしまう。

そんなタイミングでやはり10年ぶりに京都府大山崎町の聴竹居で、建物の保存活動を続けてきた一般社団法人聴竹居倶楽部代表理事の松隈章さんから直接解説を伺う機会を得た。

不動産、建築に関わる人ならご存じだろう。聴竹居は大正から昭和初期に活躍した京都帝国大学教授で建築家の藤井厚二が5軒目の自邸として建てた環境共生住宅の原点とも言われる住宅である。欧米や被災後すぐの関東大震災視察などの経験から藤井は日本の気候風土、生活にふさわしい住宅を模索、改善し続け、自邸はそのために何度も建てられた。

欧米化こそが目指すものとされた時代にあって聴竹居は欧米化ではなく、近代化を志向。自然エネルギーを利用して快適な暮らしを実現したことに加え、椅子座と床座がバランスよく共存した空間、家電を取り入れて家事労働を軽減したキッチンやダイニング、伝統に拘泥せずに自然、美術に親しめる茶室、洋間にも設えた新しい床の間などが特徴だという。

訪れてみるとそれらに加えて自然と一体になった住宅のあり方に欧米の住宅との違いを感じるところがあり、どの国にもその国らしい住宅があり得ることが体感できる。100年前、藤井は「其の国の建築を代表するものは住宅建築である」という言葉を残しているが、住宅が目指すべきものはそういうものだろうとしみじみ思う。

中川 寛子なかがわ ひろこ

住まいと街の解説者。40年以上不動産を中心にした編集、執筆業務に携わり、年々テーマは拡大中。
主な著書に『ど素人がはじめる不動産投資の本』(翔泳社)『「この街」に住んではいけない!』(マガジンハウス)『解決!空き家問題』『東京格差 浮かぶ街・沈む街』(ちくま新書)『空き家再生でみんなが稼げる地元をつくる「がもよんモデル」の秘密』『土地の価格から地域を読みとく 路線価図でまち歩き』(学芸出版社)など。宅地建物取引士、行政書士有資格者。日本地理学会、日本地形学連合会員。
株式会社東京情報堂