「住む」は「生きる」
2025年10月01日 / 『CRI』2025年10月号掲載
目次
住むということを意識したのは、生まれ育った家を出て、ひとり暮らしをはじめた頃のことです。20代後半の時でした。東京で生まれ育ち進学就職関係ないわたしのような場合は、自分から「そのタイミング」を作らなければひとりで暮らすきっかけはなかなか訪れません。当時は出版社に勤めていましたが、いずれはフリーランスになり自宅で仕事をしたいという思いがあり「そろそろ」というタイミングでひとり暮らしをスタートしました。
それまでは「住む」ということについて、さほど意識して暮らしていませんでした。けれど、ひとり暮らしをはじめるに当たり「住む」とは「何か」を考えはじめました。と、言っても20代後半のいまから思えばまだまだ経験の浅い年齢です。それでも当時、得た答えは、30年すぎたいまもそう変わることなくわたしのなかに息づいています。
わたしにとって「住む」とは「生きる」こと。どこで、どんな風に生きていくのか、または、生きていきたいのか。その都度考え、見直し、こころ豊かな方へ進んでいくことです。
不動産情報を見ると「間取り」「広さ」「商業施設の有無」「駅からの距離」といった条件がならびます。「築年数」も加わりますね。でも、わたしが知りたいのは、そこに住むと自分の生き方にどのような変化が起こるのか、どのような景色のなかで生きていけるかです。
毎朝、目ざめた時に漂う静けさ。帰宅して窓を開けた時の風景。駅に降り立った時の香り。近隣から流れてくる音。
条件やそれに伴う事項は、金銭的な余裕があれば、いくらでも選択できます。でも、条件に掲載されていない多くのことや五感が、「生きる」ことを形作っていきます。
不動産情報で条件が合い内見したけれど「ここではない」となることが度々ありますが、それは、条件には挙げられていない本質的なことが「そこではない」と感じるからだと思います。
ひとり暮らしをはじめ2軒目に住んだ家は、関東大震災前に建った古い洋館の1室でした。建築家は、ドイツ人。幼少期にドイツで過ごした家主の方のご家族が設計を依頼されたそうです。家主の方は、週のほとんどを東京から離れた大学で教鞭を執られていました。帰ってくるのは週末、それも月に1、2度。わたしは、広い家の2階の1室を借り、数年、その古い家と庭を享受しました。
ある春の日。2階の自室から庭の池を眺めていると水面がゆれていることに気づきました。目を凝らすと、そこには、1匹のカエル。春のきらきらした陽差しのなか、体をのばし気持ちよさそうに庭の池で泳いでいます。カレンダーを見るとそこには「啓蟄」の文字。春になり草木や生き物が動きはじめる日です。そんな出来すぎた場面にわたしは驚くとともに、季節と、カレンダー(暦)と、そこで生きるということが、つながりました。点と点だったことが、1本の線でつながった感覚です。それまで別々に存在していると思っていた事柄がつながり、わたしを取り巻いていることに気づきました。「住む」は、すべての「生きる」とつながっている──。あの家の、あの季節と、あの場所だから、気づいたことです。大切なことは、情報として発信されること以外、日々のなかで展開することがほとんどです。
それから30年近くの時間が流れました。歳を重ねた分「住む」は、益々「生きる」に近づいています。この年齢になっても、どこで、どんな風に生きていくのか、生きたいのかを都度、確認します。それほど「住む」は、わたしにとって大切なことなのです。

エッセイスト/設計事務所共同代表/空間デザイン・ディレクター
東京、葉山、鎌倉、瀬戸内を経て、2023年から再び東京在住。
現在は、執筆の傍ら、商業施設、住宅の空間設計のディレクションにも携わる。
最新刊は 『60歳からあたらしい私』(扶桑社)
Instagram @yukohirose19