3つの時代のインフレ局面から読むマンション市場(その2)
2026年04月28日 / 『CRI』2026年5月号掲載
目次
CRI No.572(2026年4月号)では「3つの時代のインフレ局面から読むマンション市場(その1)〜昭和 住宅取得への夢〜」により、1970年代の国内経済の混乱と「オイルショック」がもたらしたインフレ渦中のマンション市場について検証した。第2回となる今回は、昭和から平成の端境期に起こったインフレと、バブル経済崩壊の中で起こった消費者の価値観の変容がマンション市場に及ぼした影響について読み解いていきたい(図表7)。
1.1980年代後半の「バブル経済」がもたらしたインフレとその帰結
1980年代後半のインフレは比較的穏やかで、東京都でも1〜3%前後の上昇に留まっていた。先の1970年代のような生活必需品が不足する、あるいはその供給が滞るといった不安感から起こったインフレとは異質だった。この時期に起こったインフレは「株価・不動産」が高騰するいわゆる資産インフレで、実体経済とはかけ離れて膨張し続ける「バブル」経済であった。
東京都の地価公示価格は1986年から1987年にかけて住宅地で50.5%、商業地では74.9%と異常な上昇率を記録した。1987年から1988年にかけてもそれぞれ67.0%、36.7%と高水準な上昇が続き、このまま地価が上昇し続けるかのような錯覚を起こさせた。「山手線の内側の土地価格でアメリカ全土が買える」とまで言われた異常な土地価格上昇の中、「土地の価格は下がらない」という土地神話が広がり、当時の公定歩合2.5%という極めて低い金利水準も重なり、過剰な不動産融資を引き起こした。日経平均株価も当時の過去最高を更新し38,916円を付けるなど「Japan As Number One」と、あたかも日本が世界経済の中心的な経済大国であるかのような存在感を示していたのはこの時期である。企業・個人共に所有する不動産や金融資産を利用してキャピタルゲインを得ることを追い求める風潮の中で、需要はさらに創出・拡大されていった。
こうしたバブル景気は1987年から1990年の4年間継続したが、1989年の冷戦終結により金融のグローバル化が進み、円高から円安に反転すると、政府は金融緩和政策から一転、引き締め政策に方向転換を図った。このことが株の暴落・円安のさらなる進行を誘引した。
1989年には消費税が導入され、個人消費の勢いにストップがかかり、さらに翌年1990年3月に土地取引を抑制する総量規制が実施されると、日本経済は大きな転機を迎えた。加えて、1989年初めには2.50%だった公定歩合も1990年3月には5.25%、8月には6.00%と相次いで引き上げられ、低金利から高金利へと政策転換が図られた。その結果、株・円・債権のいずれもが下落するトリプル安となり、好景気に沸いていた日本経済も不透明感が漂うようになった。1991年5月に地価税法公布(1992年1月施行)を受けると、地価は大幅な下落局面へ転じ、その後に起こった株価・地価の大暴落は、個人消費の低迷と金融機関の経営破綻を引き起こし、ついにバブル経済は終焉を迎えた(図表8)(図表9)。
2.急激な社会情勢の変化の中で起こった価値観の転換
〜急激に高騰する住居費〜
分譲マンション市場においては、好景気の中で首都圏の平均価格は1986年の2,758万円から1987年には一気に3,579万円(+821万円約30%)へと跳ね上がった。前述のとおり、1980年代後半のインフレは比較的穏やかで、東京都でも1〜3%前後の上昇に留まっていたのに対し、分譲マンション価格は急激に上昇し、インフレ率と比較しても大きな乖離がある。地価の高水準は1991年の春頃まで継続していたため、分譲マンションの価格は1992年まで高値で推移していたが、販売不調に陥る物件も散見されるようになると、完成在庫が次第に増加していった。このことは、分譲マンション供給の急激な減少につながった。バブル前まではコンスタントに約5万戸あった首都圏の供給戸数も約4万戸となり、1991年のバブル崩壊時には2万戸台まで減少。価格は下降に転じるも、売れ行きは低調となった。
民営借家の家賃も上昇し続け、1988年には勤労者月額賃金に占める家賃の割合は36%と高い比率を占めるようになり、次第に住居費は分譲・賃貸共に生活を圧迫するようになっていった。住居費のような家計における固定費負担が大きくなったことは、消費者態度指数※にも表れるようになった。1988年3月から1990年は「将来的に前向き」を意味する50を概ね超えているが1991年に入ると急激に下降し、その後に回復基調となるものの、いまだにバブル期の水準には至らない(図表10)(図表11)(図表12)。
※消費者態度指数とは内閣府で毎月公表される「これからの暮らしが良くなるか悪くなるか」について消費者心理を数値化した指標で50を上回れば「将来的に前向き」、下回れば「悲観的」と判断される。
〜価格高騰を下支えした住宅ローン減税〜
住宅ローン減税は1972年の「住宅取得控除」が始まりで、所得金額に応じて税額を控除するもので、住宅ローンの有無を問わない制度として、バブル景気が始まる直前から導入されていた。現在の住宅ローンの原型となる制度は1987年に「住宅ローン残高に応じた税額控除」に再編されたものである。制度が創設された背景としては、バブル景気による地価高騰を主因としたものではなく、住宅取得者の負担軽減、住宅投資の促進としての景気刺激、住宅建設の活性化、ローン返済の初期負担を軽減することにより、購入タイミングの早期化による需要の下支えを目的として創出された。住宅ローン減税は「住宅を買った方が得」という意識の醸成と、ローン借入余力を高めるなど、高額なローンを組むハードルを下げ住宅需要の底上げに寄与した。
〜土地神話の崩壊と価値観の転換〜
バブル期の急激な価格高騰にもかかわらず、「土地神話」や「今後も収入が上昇する」ことを期待するサラリーマン層による購入は多く、現在のパワーカップルの先駆けともなったDINKs(ダブルインカムノーキッズ)の存在は、世帯主のみの所得では購入が難しい価格でも、将来の値上がりを見越して夫婦二馬力の所得により購入に踏み切った。当時はまだ世帯主がメインで、妻は補助というローンの組み方が大半であったが、「早く買わないとどんどん価格が上がっていく」という焦燥感は「無理なローンを組んでも早く住宅を取得したい」という意識を駆り立てた。
一方で、急激な価格の上昇により人々の消費行動にも変化が表れた。所得は微増ながらも上昇していったが、それをはるかに上回るスピードと上昇幅で分譲価格の上昇が起こったことから、「他の消費を抑えても住宅を取得したい」という価値観が崩れ、アパートに住みながらも高級ブランド品や高級車などを購入し、高額商品を購入することで好景気を享受する人々も多く見られた。また、都心から50km以上離れた遠隔地に住まいを求める層も出現した。東京都心部へ通勤に2時間ほどかかる地域のニュータウン開発の中には、現在、人口減少と高齢化を迎え、いまだに未開発地を残したまま資産価値の崩壊だけでなく、インフラの維持が困難となっている地域も点在している。
こうしてバブル経済の破綻は経済破綻だけではなく、①土地は値上がりするものという価値観(土地神話)②住宅の買い替えをすることでより良い住宅に住み替えることができるという常識(住宅双六)③住宅を「住まい」としてよりも「資産」として考える価値観の変化④若年層でも購入しやすい長期住宅ローンの創設(旧住宅金融公庫のゆとり償還)など様々な価値観を覆し変化させた。上を見上げ続けていた視線を等身大へ戻し、実需中心の新たなフェーズへと進んでいくこととなった。
┃COLUMN┃ 男女雇用機会均等法施行による住宅購入への影響
男女雇用機会均等法の施行(1986年4月)は単なる労働環境の変革に留まらず、労働者の意識・住宅市場の「従来の慣習」を変える大きな転換点となった。まだまだこの時代の女性の労働は「補助的」な業務が多かったが、男性と同様にキャリアを積み昇給・昇進を期待できる「総合職」として道が開かれたことにより、それまで、「世帯主(主に男性)の収入」に依存していた住宅取得が、「世帯収入(収入合算)」により資金計画を立てるようになり、住宅ローンも「連帯債務型」の商品が一般化した。このことは住宅選択の幅を広げ、より高額な住宅・よりスペックの高い住宅・より利便性の良い場所での購入を可能とした。また、女性の社会進出と経済力向上により、単身女性による購入も増加し始めた。
・参考 リゾートマンションの動向
1980年代後半、日本がバブル景気に向かっている中、「国民の余暇時間が増加し、レジャー需要が急増している」「経済の高度化に伴い観光・レクリエーション産業(第三次産業)の育成が課題」「プラザ合意後、内需拡大の必要性が高まり、大規模投資の受け皿としてリゾート開発に期待」などの声を背景として1987年5月に「総合保養地域整備法」、通称「リゾート法」が成立、同年6月に公布・施行された。条件としては15万ha以下の広域自然地域、多様な施設(ゴルフ場、スキー場、マリーナ、ホテル等)の整備、民間活力の積極的活用などがあった。
1988年には36道府県が構想の作成を進め、最終的には42地域が承認された。「宮崎・日南海岸リゾート構想」(シーガイア等)、「三重サンベルトゾーン構想」(志摩スペイン村等)、「会津フレッシュリゾート構想」(スキー場等)が1988年7月に初の承認を受けた。リゾート法で承認された計画に基づくマンション開発においては税制優遇、開発許可の緩和、長期低金利融資など国からのインセンティブもあり、1988年には全国で需要を大きく上回る1万戸を超えるリゾートマンションが建設された。
しかしながら、環境破壊、乱開発、地域財政悪化など多数の課題を抱え、多くの施設が経営難・破綻に陥り、2004年にリゾート法は見直しが図られることとなった。
バブル崩壊はリゾートマンションの価格暴落を引き起こし、手放したくても手放せない負の資産化、管理者不在による管理不全に陥るマンションの出現など大きな影響をもたらした(図表13)。
こうして1980年代後半は、より豊かな生活を求めリゾートマンションが供給されたが、バブル崩壊によるリゾート施設の閉鎖は、マンション価値の低下を招いただけでなく地域の衰退という負の連鎖を引き起こし、今もなお、バブル経済の後遺症として課題を残している。
第3回は約四半世紀ぶりに起こった令和のインフレ下のマンション市場について検証していく。(鈴木貴子)













