ビジネスの再定義が危機を救う/銭湯の10年を振り返る

「暮らしをデザインする」13 (Apr. 2026)

2026年03月31日 / 『CRI』2026年4月号掲載

エッセイ

目次

2015年9月に廃業した文京区本郷の菊水湯の取材が私にとって初の銭湯取材だった。記事冒頭では「2011年の東日本大震災辺りからスピードを増した銭湯廃業」とあり、2013年のおとめ湯以降、文京区内では菊水湯が4軒目の廃業だった。

記事では廃業の理由として一般家庭への風呂の普及による利用者の減少、燃料費や光熱費の高騰、施設・設備の老朽化、経営者の高齢化、後継者不足などを挙げた。銭湯は地域で利便性の高い場所に立地していることが多く、敷地も広い。恰好の住宅適地であり、相続、高齢化などを機に敷地を売却してしまう例が少なくないのだった。

一方でこの時期には承継の動きも出始めた。現在関西を中心に10カ所の銭湯を経営する、ゆとなみ社の湊三次郎さんが廃業寸前だった京都市の梅湯を受け継いだのが2015年。2000年頃からは足立区の大平湯のようにデザイナーズ銭湯へのリノベーションも行われるようになってはいたが、銭湯は家族経営が多く、他人が承継する例は非常に珍しかったのである。

だが、この時期の取材では銭湯が好き、残したいという言葉は出ても、誰も銭湯の存在意義については明確に発言していない。風呂のない時代には公衆衛生を担うという大義があったが、それがなくなった今、銭湯を将来に向けて存続させていくためには再定義が必要だ。

2017年には2024年に東急プラザ原宿に2号店を出した高円寺の小杉湯の三代目、平松佑介さんに取材をした。銭湯の隣にある取り壊し予定のアパートを舞台に1年間の期間限定で銭湯のある暮らしを考えるプロジェクトを取り上げたのだが、そこで平松さんは「人間関係の場」としての銭湯という言葉を口にした。新たな意義の模索が始まったのだと感じた。

その後も銭湯の減少は続いているのだが、コロナ禍以降は承継された銭湯の取材が増えた。2023年4月には群馬県桐生市の重要伝統的建造物群保存地区にあった一の湯が4年半ぶりに移住者の女性の手によって再開された。切り盛りする山本真央さんによると近所の高齢者のほか、昭和のアトラクションとして銭湯を捉える人達が遠方からも来るという。

同年には大阪市の北加賀屋にある寿楽温泉を地元の南港病院が承継した。同病院は地域で福祉関連事業を複数展開しており、寿楽温泉もそうした地域のための場のひとつ。病院だからできるまちの保健室としての役割も果たしており、地域の交流拠点となっている。

こうした承継事例は日本全国で起こっており、そのうちにはスーパー銭湯経営と併せて既存銭湯をデザイナーズ化する事業者も出てきている。銭湯を再定義し、その理念に沿った経営を行う銭湯も増えてきた。

2020年に松本市にある菊の湯を承継した菊地徹さんは銭湯は現代人が自分自身を取り戻すサードプレイスの一形態ではないかと考えた。菊池さんの再定義は多世代がひとつの浴槽に浸かり、その関係がまちに滲み出す、地域のコミュニティを編み直すハブだという。

そうした定義の一方で桐生市の山本さんが指摘したように若い人達には新鮮な遊びの場としての銭湯もある。一貫して減少を続ける銭湯と違い、それ以外の温浴施設はそれほど減少していないことを考えると、遊びの場としての湯のニーズは存外に高いことが分かる。

そして、もうひとつ、再定義を考えることなく、これまで通りのやり方で閉業への道を歩む銭湯もある。あちこち訪ねるとそうした銭湯は多く、二極化、正確には三極化は明確に進んでいる。ビジネスを再定義する意味の大事さが分かるというものである。

中川 寛子なかがわ ひろこ

住まいと街の解説者。40年以上不動産を中心にした編集、執筆業務に携わり、年々テーマは拡大中。
主な著書に『ど素人がはじめる不動産投資の本』(翔泳社)『「この街」に住んではいけない!』(マガジンハウス)『解決!空き家問題』『東京格差 浮かぶ街・沈む街』(ちくま新書)『空き家再生でみんなが稼げる地元をつくる「がもよんモデル」の秘密』『土地の価格から地域を読みとく 路線価図でまち歩き』(学芸出版社)など。宅地建物取引士、行政書士有資格者。日本地理学会、日本地形学連合会員。
株式会社東京情報堂