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2023.03.22

【マンションのあるまち-3】「埼京線」沿線に今もファミリー層が増えるワケ

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「埼京線」沿線は開業40年弱が経過した今でもファミリー層が多く暮らしています。その理由を、まち探訪家の鳴海侑さんが探ります。

取材・文・撮影:鳴海侑(まち探訪家)

まち探訪家・鳴海侑による、マンションがもたらすまちの変化特集。3回目は新路線開業からゆるやかにマンション開発が進み、ファミリー世代が多く移り住む埼京線沿線を紹介したい。

 

 

東京都品川区の大崎駅から埼玉県さいたま市の大宮駅を結ぶJR「埼京線」。埼玉県南部と東京の副都心、池袋・新宿・渋谷を直結している。開業は1985年で、40年弱が経過している。開業当初は沿線の開発余地があり、住宅や商業施設の開発が進んだ。その際、マンション建設も積極的に行われ、現在では車窓から多くのマンションを見ることができる。また、沿線のまちを歩くとファミリー層を中心に若い人が多く見られる。

 

では、埼京線の開業により、どういった「マンションがある暮らし」が生まれ、なぜファミリー層が多く暮らしているのか。沿線の様子を見ていきながら、探ることにしたい。

 

 

埼京線の東京都心側は新宿駅発の列車や大崎駅を介して東京臨海高速鉄道りんかい線から直通してくる列車が多い。大崎駅から池袋駅まで併走していた山手線とわかれると、赤羽駅までは平地や切通しを走る。赤羽駅手前で高架に上がり、赤羽駅を通過すると、東北・上越・北陸新幹線の高架と並行する。この並行は埼京線の終点、大宮駅近くまで続く。

 

高架は比較的高い位置に作られている。車窓からは遠くまで見え、マンションが目立つ。荒川を渡って埼玉県内に入ってもその傾向は続き、特に荒川を渡ってすぐの戸田公園駅の東側はマンションの密度も高い。駅も1日約6万人(2021年度)が利用し、快速列車が停車する。

▲国道17号線の戸田公園駅近くではマンションが立ち並ぶ。

埼京線の赤羽以北の高架区間では、高架下空間の活用も盛んだ。戸田公園駅にはJR東日本系列のショッピングセンターが直結し、市営の大規模な駐輪場が設けられている。ショッピングセンターは小規模ながらも、「スターバックスコーヒー」や「無印良品」といった集客力の高いテナントが入り、訪れる人は多い。

 

駅名の由来となっている戸田公園は、1940年に開催予定であった東京オリンピック大会に向けて建設された戸田漕艇場がもととなっている。1964年に開催された東京オリンピックでは実際に漕艇の会場となり、オリンピック終了後、周辺一帯を公園として整備した。現在も大学や社会人のボートチームが公園内に艇庫を構え、時折練習を行う光景も見られる。この戸田公園の漕艇場横にもマンションが複数立っている。

▲漕艇場を中心に整備された戸田公園。公園周辺にもマンションが。

戸田公園のすぐ南にある荒川の土手からは埼京線に並行するように走る国道17号線の戸田橋が見える。この国道17号線沿い、戸田橋から北に数百メートルのところにマンションが立ち並ぶエリアがある。幹線道路沿いは容積率が高いケースが多く、また駅に近いことから、マンションを建てるには好条件というのが大きく作用しているのだろう。

 

 

戸田公園駅から再び埼京線に乗ると、戸田公園駅周辺ほどではないものの、マンションがいたるところで見られる。外環道を越えてさいたま市内へ入ると、ひときわ大きなタワーマンション群が現れ、武蔵浦和駅に到着する。武蔵浦和駅はJR武蔵野線との乗換駅で、西口にさいたま市南区の区役所があるなど、地域の拠点となっている。また、埼京線には武蔵浦和駅折り返しの列車が多く設定され、朝ラッシュ時間帯には始発列車を狙う人の姿も見られる。

▲武蔵浦和駅東側は今後再開発が進められる予定だ。

駅周辺では再開発が進んでおり、取材した際も駅の西側で大規模マンションの建設が行われていた。また、戸田公園駅周辺以上に商業集積も見られ、浦和や大宮ほどではないものの、買い物の利便性が高い印象を受けた。

 

武蔵浦和駅以北の埼京線は西側に旧与野市(現在のさいたま市中央区)の古くからの市街地が広がっており、建物は一軒家が目立つようになる。その先は北与野駅で再び高層建築群が現れる。このあたりが「さいたま新都心」の西側で、大規模マンションも駅近くに建てられている。そして、北与野駅を過ぎると電車は地下に潜り、まもなく大宮駅に到着する。

 

 

ここまで車窓と駅周辺を中心に埼京線沿線の様子を紹介してきたが、もう少し沿線の様子を俯瞰して見てみると、じつは道路交通が強いこともうかがえる。その理由が国道17号線「新大宮バイパス」が近いことだ。そのため、ロードサイド型の店舗や大型ショッピングモールが沿線に複数ある。

▲現在は大型ショッピングモールになっている場所も、元々倉庫を再開発している。

ただ、道路そのものは新大宮バイパスを除いて車線数の少ない道も多く、歩道も十分に整備されているとはいえない。そのため、自動車というより、平坦な地形ということもあって小回りが効く自転車の往来が多い。また、子どもを乗せるバスケットを装着した自転車も数多く見かけ、歩く人もファミリー層の若い人が多い。こうしたまちを行き交う人々の傾向はすぐ東を走る京浜東北線と比べて大きく異なる。

 

 

では、埼京線の沿線風景はいかにして生まれたのだろうか。
沿線風景を考察するにあたっては、「埼京線」という路線の成り立ちを知る必要がある。そして、埼京線の成り立ちと大きく関わるのが新幹線建設だ。

▲荒川を渡る東北新幹線。埼京線について考えるとき、新幹線の話は欠かせない。

国および国鉄(日本国有鉄道の略。1987年に現在のJR各社に分割民営化された)は1964年に東海道新幹線が開業したのを皮切りに、全国へと新幹線ネットワークを展開するため、建設事業を進めていった。その中には東京から東北・上越方面への新幹線建設が含まれていた。
1970年代前半には東北・上越方面の新幹線建設に向け、国鉄から埼玉県内のルートが発表された。そのルートの発表を受け、埼玉県南部では新幹線建設への反発が広がった。
主な理由としては2点があげられる。ひとつ目は自分たちの暮らしにおいて利便性があがるわけでもない新幹線が建設され、まちが分断される可能性があること。もうひとつは騒音や振動により生活環境が悪化する可能性があることだ。2点目については、当初地下に建設する計画だったのが、地盤を理由に高架での建設に変わったことも反発を大きくしている。

 

特に反発が大きかったのが、当時は鉄軌道交通が市内中心部を経由していなかった戸田市や与野市(現在のさいたま市中央区)だ。激しい反対運動が行われ、1970年代後半までは建設に着手する見込みも立たなかった。
同じころ、国鉄では東京都心へ向かう通勤路線の輸送力増強と混雑緩和を進めようとしていた。埼玉県南部ではそれまで同じ線路を利用していた東北本線(宇都宮線)、高崎線、貨物線を分ける工事(その前から分離していた京浜東北線も含めた3複線化)を完了した。これにより、列車の増発が可能となり、混雑は緩和されるはずであった。しかし、東京通勤圏の拡大により乗客は増える一方で、朝ラッシュ時は依然として200~250%という激しい混雑率であった。

 

こうした状況を大きく改善するため、新線の建設が要望された。そして東北・上越新幹線とセットで東北本線の別線となる通勤新線、すなわち現在の埼京線となる路線を新設することで、新幹線沿線の住民が利用できる鉄軌道交通を整備することが計画された。この計画は新幹線の騒音・振動対策を十分に行うことで地元の反対運動の沈静化を図り、新幹線工事着工にめどをつけるという意図もあった。
「通勤新線」の計画は、特に東京都心からの地下鉄延伸を要望していた戸田市にとっては大変魅力的なものであった。そして1979年に「通勤新線」の建設も確定すると、新幹線建設反対運動は急速に落ち着き、東北・上越新幹線と「通勤新線」がセットで着工されることになった。

 

 

地元期待の「通勤新線」は、北は川越線、南は赤羽線(現在の埼京線池袋~赤羽駅間)に直通、開業時は池袋から川越までの直通運転を行うことに決まった。そして東北本線の別線(赤羽~大宮駅間、「通勤新線」)、赤羽線(池袋~赤羽駅間)、山手貨物線(大崎~池袋駅間)を通して運行する列車の「通称」として「埼京線」という名もつけられ、1985年に開業した。

 

開業後は山手貨物線の南側でも旅客営業区間を延ばし、1986年に新宿、1996年に恵比寿、2002年には大崎までの運行を開始し、大崎までの運行開始と同時に東京臨海高速鉄道りんかい線への相互直通運転を開始している。

 

こうした建設から開業までの経緯は「混雑緩和」という意味では、つくばエクスプレスと似ている部分もある。しかし、つくばエクスプレスは「良質な住宅供給ができるまちづくり」を意識していたのに対し、埼京線は「新幹線建設の見返り」という部分が大きい。そのため、埼京線は鉄道路線単体で計画が進んでいた。

▲新幹線・埼京線の両側にはそれぞれ20メートルの緩衝帯が設けられている。

また、埼京線の場合は新幹線の騒音・振動による周辺環境への影響を抑えるために、高架に隣接して幅20メートルの緩衝帯が設けられた。この緩衝帯は国鉄が設けたものだが、自治体への譲渡を有償で行うか無償で行うかでなかなか折り合いがつかなかった。そのため、駅周辺での土地区画整理をはじめとした整備が遅れ、駅とまちの一体開発はあまり進まなかった。一方で、駅から少し離れた位置にある倉庫や工場跡地、農地などでマンションや商業施設の開発が進められることになった。

 

その結果、つくばエクスプレス沿線で見られるような面的な開発よりも、マンションが散在しているような沿線風景が形成された。そして、開発がそれぞれ別個に行われていったために、ゆるやかに開発され、ファミリー層を中心に若い人が今も移り住んできている。また、都心への通勤・通学や買い物へは埼京線を利用し、近所の買い物などには自動車や自動車と使い分けすることで利便性の高い生活を送るというスタイルはファミリー層にとってはフィットしやすいといえ、それも人口流入を生む理由なのだろう。

 

 

ここまで埼京線沿線の様子とまちの変化を見てきた。都心から離れていて、これまで大きく発展してこなかったエリアへの都心直結の新路線開業と後における沿線都市開発としては、つくばエクスプレス沿線と異なり、駅周辺にぎゅっと施設を固めるのではなく、広い範囲でマンション建設を行ったことがうかがえる。そのため、駅自体に拠点性がなく、まちの魅力向上につなげられていないエリアもまだ沿線には存在する。

 

一方で、沿線でも再開発が進められた地区は拠点性も高い。それが北与野駅周辺と武蔵浦和駅周辺だ。

▲北与野駅周辺では高層マンションも建設されている。

北与野駅は大規模再開発「さいたま新都心」の外縁部に位置する。「さいたま新都心」は国鉄大宮操車場の跡地を中心とした場所で1991年から行われた土地区画整理事業と施設建設で、総事業費約935億円という一大プロジェクトだ。さいたまスーパーアリーナや東京都心部から移転してきた政府機関が集まる「さいたま新都心合同庁舎」などが建設され、併せて北与野駅周辺も再開発が行われたことで大規模マンションが立地している。

 

武蔵浦和駅は大規模プロジェクトに関連する形の北与野とは異なり、駅周辺を一体的に再開発しようとしている。
埼京線と武蔵野線の乗換駅ということもあり、近隣エリアの中核としての役割が期待され、1990年代中頃から個人や再開発組合、旧住宅・都市整備公団(現在のUR都市機構)などさまざまな主体が再開発を行っていった。現在は駅部分にあたる1街区を除いた13の街区のうち、6つの街区で再開発が完了している。残る7街区のうち、1街区ではマンション建設が進み、2つの街区では再開発の検討が進められており、埼京線開業から30年以上経過した今でも今後の発展が期待される地域だ。

 

このように、埼京線沿線には、まだまだ開発余地や再開発の可能性があるエリアが複数ある。つまり、今後も沿線の開発・再開発が期待できるということだ。また、東京都心に近いということで、土地もより高度利用する需要が高いはずだ。そうなると、マンション開発は今後も期待がもてる。
開業から約40年が経過した今でもゆっくりと発展をし、若い世代も多く住む埼京線沿線。今後の開発への期待値も高い。また、マンションも多く、「マンションのある暮らし」が確立している地域でもある。このように、現状でも利便性の高い暮らしができ、今後も期待できるとなれば、住むという意味でなかなか魅力的なエリアといえるのではないだろうか。

WRITER

鳴海 侑
神奈川県生まれ。現在までに全国にある 700 以上のまちを訪ね歩いた、「まち探訪家」。父親の実家が限界集落にあった経験などから、「この地域はいかにしていまの姿になったのか」という問いを抱き、まちを見て歩き、考える日々を送る。現在は会社員と二足のわらじでウェブメディアへの寄稿をメインに活動中。

Twitter:@mistp0uffer