特集

2022.11.01

不動産経済学の第一人者と歩く、マンションの70年。

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清水千弘教授

分譲マンションはどのように発展し、未来に向けてどのような姿に変化していくのか。一橋大学・清水千弘先生に解説していただきました。

取材・文:山下紫陽 撮影:ホリバトシタカ

日本初の分譲マンションが生まれてから約70年。この間、時代の趨勢とともにマンションは立地・価格・面積などさまざまな面で変化してきました。

戦後の日本において、最初に住宅の供給不足に対応したのは団地です。1955年に生まれた日本住宅公団は、都市部で働く地方出身のサラリーマン家庭のために、都心近郊に土地開発を行い、大規模団地を建てていきました。一方、マンションは民間のデベロッパーによる、アパートよりも高級かつ大規模な集合住宅として、1960年代より一般化。1962年に「建物の区分所有等に関する法律」が成立したことで、マンションの一室を一人の所有物にすることができるようになったこともあり、1963年には第一次マンションブームが起こりました。 不動産経済学の第一人者としても知られる一橋大学ソーシャル・データサイエンス教育研究推進センターの清水千弘教授は、「住宅の圧倒的な供給不足だった1950年代、人々の居住と生活を保証するために、マンション建設は都心の真ん中から始まりました」と話します。

 

清水千弘教授

▲清水千弘教授。東京大学空間情報科学研究センター特任教授、麗澤大学学長補佐(AIビジネス研究センターセンター長・都市不動産科学研究センター長)、日本大学スポーツ科学部教授。専門は指数理論、ビッグデータ解析、不動産経済学。主な著書に『市場分析のための統計学入門』、『不動産市場の計量経済分析』、『不動産市場分析』など。国土審議会・社会資本整備審議会の専門委員を歴任し、現在、内閣府統計委員会専門委員等を務める。

 

 

「郊外の団地やニュータウンは、共働き家庭にとっては職場から遠いですし、どのような家族構成であっても不便です。もうひとつの理由として、都会には映画館や美術館、素敵なレストランやスポーツ施設、コンサートホールなどが集中しているということもあります。美味しい料理を食べに行ったり、おしゃれをしたり、気軽にレジャーを楽しんだり。マンションというのは、このような有償行為を通じて都市型のライフスタイルを楽しみ、幸せを感じる人々にとって理想的な住まいでした。私の専門は経済測定という分野で、消費者物価指数やGDPなどにおける不動産の測定が研究テーマなのですが、どの国でも人々の有償行為のほぼ25〜30%が住宅関連。つまり、私たちの幸せの25〜30%は住宅に基づいているということです」

宮益坂ビルディング

▲1953年に東京都が分譲した、日本初といわれる分譲マンション「宮益坂ビルディング」。2016年に解体され、建て替えを経て現在は最先端のマンションへと生まれ変わった。

 

 

1970年には住宅金融公庫による民間分譲住宅の個人融資もスタート、購入のハードルが下がったことから、マンションは全国に広がっていきます。やがてバブルを迎えマンション価格は高騰、2022年までマンションの価格はこの時代を超えることはありませんでした。

一方、平均床面積はバブル経済が終焉を迎えても広がり続け、ピークは2000年前後。ちょうど1997年に建築基準法が改正され、共同住宅の共用廊下等の部分の容積率緩和が実現したことでタワーマンションの建設が活発になった頃のことです。現在の平均床面積は80年代と同じくらいですが、一世帯あたりの人数が減っていることを考えれば、これも当然の流れ。単身者向けのマンションや介護付きマンションなど、マンションごとの個性も豊かになってきています。

「3世代同居が当たり前だった時代には、大きめの戸建てでもトイレは1つ、お風呂も1つ。お風呂がない家庭では銭湯を利用していた。そして時代は流れて核家族化が進み、家に必要な機能が整理された結果、要望を一番吸収しやすいのがマンションだったのだと思います。求められる機能がバラエティに富んだものになってくると、マンションは単なる住まいではなくなってきますよね。プライバシーを重視する人が集まるマンションでは、それぞれが顔を合わせずに済むエレベーターがついていて、隣同士、誰が住んでいるかは誰も知らなかったりします。一方で、単身世帯の多いマンションなどではコミュニティ作りが始まっていたりする。共有スペースを有効活用し始め、お茶会を始めたり、SNSで住民同士がつながったり。マンションがひとつの街化する傾向も最近は多く見られます」

 

豊洲エリア

▲2000年頃からタワーマンションの建設ラッシュが始まった豊洲エリア。都心へのアクセスの良さや商業施設の充実ぶりなどで人気を集め、湾岸屈指の街へと発展した。

 

 

清水教授は「高齢化が進む中でもうひとつ顕著になってきたのは、都市部への集中です」とも指摘します。
「例えば私は岐阜の山間部の出身ですが、坂が多いので、お年寄りは歩行での外出が困難です。買い物に出たり通院したりできないので、結果的にさまざまな機能が集積する街の中心部に集まるようになります。さらに、階段のある戸建て住宅は怪我のリスクもあるので、エレベーターのあるマンションを選ぶことになる。それが、この10〜15年くらいの間にどこでも起きていて、地方都市の駅前にどんどんマンションが急激に増加しました。地方とはいえニーズがあるため、価格は高いですよね。実際に調べてみると、物件によっては5000万円以上でも売れているのです」

一方、東京はどうでしょうか。
「2000年代以降、湾岸エリアのタワマンが人気となり、現在に至るまでこの人気が継続しています。それは、都市は外へ外へと広がり、そしてまた中心へと回帰する傾向があるからだと考えられます。マンションは1970年代に都市部に多く建設され、そこから郊外へと広がり、今はまた湾岸エリアなどの都心部、そして地方都市に集まるようになりました。地盤が良く、治安が良く、安全で、交通アクセスや生活インフラも充実している。このような理由から、高齢化と人口減少に伴い、再び都市の中心に人が集まるようになってきたと考えられます」

 

その背景には、政府が都市再生特別措置法などによってさまざまな施設を都市の中核に誘導していく、いわゆるコンパクトシティ化のための施策がじわじわ功を奏してきたということもあるそうです。清水教授は「人口減少社会に対応したコンパクトシティを実現するためのマスタープランのことを“立地適正化計画”などといい、国土交通省が定義し、自治体レベルでも取り組みが始まっています。これに従えば駅前にタワーマンションが集中して建つエリアも増えてくると思います。駅前のマンションは利便性が高く暮らしやすいですからね」と話します。

とはいえ、日本人は他の国に比べるとまだまだマンションを住み替える回数が少ないそう。それでも「ライフステージに応じて住み替えていく方が、トータルな意味での幸せは大きくなっていくはず」と清水教授は言います。

最後に、教授にこれからのマンションに求められるものは?と尋ねると、「ただ単に立地と機能だけが良いマンションではない。共用部が広いとか、最上階にプールやバーがあります、コンシェルジュがいるということではないと思います。世代や家族形態、職業などに応じ、適切かつ、より良いライフスタイルを送れる住まいであること。マンション自体が的確な提案力を持ち、適切な管理がされていることが大事だと思います」との答えが返ってきました。

「マンションは簡単に建て替えができないでしょう。そうなると、どうしても価値の下落が起きます。コンクリートの劣化といった物理的な経年劣化や、設備の陳腐化がその要因ではありますが、正しい管理によって価値の下落を最小限にとどめることができます。住み替えとしても子や孫の世代に引き継ぐとしても、この点は区分所有者それぞれが高い意識をもつべきではないでしょうか」

最後に、清水教授はこんな指摘もしてくれました。

「マンションを管理するということは、街を管理するという意味も含んでいると私は考えています。災害に強い地盤があり、生活インフラが整っていたとしても、個性のない街は、なかなか勝ち残れなくなってきているかもしれないですね。デベロッパーには、マンション自体の特徴だけでなく昔からあるその街の魅力を発掘し、住民にコンスタントに伝えるなどの努力も求められていると思います」

WRITER

山下紫陽
ライター / 編集者。オンラインメディア、会員誌やフリーペーパーなどで、建築、アート、カルチャー、ライフスタイル全般の記事の執筆やインタビューなどを行っている。デザイン関係のトークイベントなどでファシリテーターを務めることも。

おまけのQ&A

Q.不動産経済学とはどのような学問ですか?
A.経済学とは、家計の幸福、効用といいますが、それを最大化するための私たちの選択の 基準について研究する学問です。そうすると、不動産経済学とは、私たち家計が最も幸せ になるために、不動産、住宅とどのように向き合い、選択していったら良いのかといった 基準を研究する学問です。