蔵と白壁のまち「岡山県倉敷市」
2025年12月26日 / 『CRI』2026年1月号掲載
目次
岡山県倉敷市は岡山県の南部に位置し、瀬戸内海に面する人口約47万人の都市である。
(2025年4月現在。同規模の自治体には松戸市、市川市、葛飾区などがある)
倉敷市は観光都市としてその名を知られており、2017年には「一輪の綿花から始まる倉敷物語~和と洋が織りなす繊維のまち~」、「荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間~北前船寄港地・船主集落」、2018年には「『桃太郎伝説』の生まれたまち おかやま~古代吉備の遺産が誘う鬼退治の物語~」の3つが日本遺産※として認定されている。本稿では日本遺産の一つとして認定された倉敷市の歴史と、その伝統を守り後世に受け継がれる住民のまちづくり活動についてレポートしていく。
※「日本遺産」は、2015年に文化庁により2020年の東京オリンピック・パラリンピックに向けて、地域の文化財を観光資源として国内外に積極的に発信し、地域活性化を図ることを目的に導入された制度で、文化庁が認定する地域の歴史的魅力や特色を通じて日本の文化・伝統を語る「ストーリー(物語)」である。これは「文化財の保護」を主な目的とする世界遺産とは異なり、「地域活性化」と「観光振興」を主な目的としており、認定要件として地域に点在する有形・無形の文化財群などのストーリー性を認定するもので、現在認定されている105件のうち、3件を倉敷市が受けている。
日本遺産に認定された倉敷市の歴史
~干拓地から天領へ~(江戸時代)
倉敷市の歴史は古く江戸時代から始まる。倉敷市は400年ほど前までは静かな内海であり、新田開発のために干拓事業が行われたが、干拓地は塩分が多く稲作に不向きであったため、塩分に強い綿花やイ草が栽培されるようになった。これがのちに倉敷市が繊維のまちとして栄える礎となり、1642年には幕府の直轄地(天領)として定められたことにより、商業・政治の中心地として発展を遂げていく。現存する白壁の蔵屋敷や商家はこの時代に豪商により築造されたものである。
~「繊維のまち」への発展~(明治時代)
明治時代になると綿花栽培の拡大を背景に、西洋の技術を取り入れながらさらに近代的な繊維産業へ発達していった。1888年に倉敷市の大地主であった大原孝四郎氏が「有限責任倉敷紡績所」(現:アイビースクエア)を創立し、1889年にはイギリス式紡績設備を導入した工場が建設されると、倉敷市は「繊維のまち」として全国屈指の工業都市の地位を築き上げた。
~「工業都市」から「文化の薫るまち」への開花~(昭和時代)
大原家の七代目当主となる大原孫三郎氏は、数々の事業で築いた富を経済の発展に留めることなく、地域の文化発展のために貢献し、1930(昭和5)年日本初の西洋美術中心の私立美術館「大原美術館」を設立した。
のちに、大原美術館を核とした和洋折衷の美しい風景と建築物は「美観地区」※としてその名を広く知らしめることとなる。
※美観地区は、「市街地の美観を維持するために定める地区」であり、建築物の配置・構造・色彩・野外広告物等に対して制限を加えることができる区域。1969年に「倉敷川畔特別美観地区」として市が指定し、1979年には国の「重要伝統的建造物群保存地区(伝建地区)」に選定された。倉敷市以外には京都市祇園地区(1976年)、金沢市ひがし茶屋街(2001年)、高山市古い町並み(1979年)、函館市元町末広町地区(1989年)などが指定され、人気の観光スポットとなっている。
西洋文化を市民に~大原美術館の設立~
前述のとおり、大原美術館は大原孫三郎氏により設立された日本初の西洋美術中心の私立美術館であり、その姿は白壁の土蔵や商家が立ち並ぶ倉敷川畔でひときわ異彩を放ち、ギリシャ神殿を思わせる。大原美術館は児島虎次郎氏の「ヨーロッパ留学時代に触れた芸術作品の数々を、地域の人々や次世代の芸術家を志す者たちに本物を見せたい」という思いと、「事業で築いた富を経済活動だけでなく文化振興に貢献したい」という大原孫三郎氏の思いにより設立された美術館で、今では国内外から年間25~30万人ほどの観光客が訪れている。
倉敷美観地区の観光客数は、1979年に美観地区が「重要伝統的建造物群保存地区」に指定され観光地として注目を浴びたことや、バブル期の観光需要の拡大により1988年に約540万人のピークを迎え、その後減少。コロナ禍以降は再び回復傾向にあり、2024年には約300万人が訪れている。
大原美術館の成り立ち・役割と今後に向けて
大原美術館は「児島虎次郎を記念する」ことを目的に設立されました。孫三郎は自身のコレクションではなく、児島が遺した作品や蒐集したものを展示し、倉敷ひいては日本の人々に公開しました。なぜ倉敷だったのか?
孫三郎は、地方から文化を発信させることに注力しました。
「地方」は孫三郎の地元である倉敷を意味します。
息子の總一郎に「わしは倉敷にこだわりすぎた」という言葉を遺したほど、彼の倉敷に懸ける熱量は高かったようです。美術館以外にも、倉敷に農業研究所、労働科学研究所を設立し、それぞれに「貴重書」と言われている古典書籍を所蔵しています。
大原美術館がある倉敷美観地区は、江戸時代の街並みが残る希少な場所です。現在は保全のための条例がありますが、条例制定の前から地域の方たちによる「守らなければならない」という意識があったのだと思います。
世界の様々な人に「美観地区があってよかった」と思われ、あるいは人々の活力の元となるような、きらりと光る星のようになりたいと思っています。
取材協力:公益財団法人 大原芸術財団代表理事 大原あかね様 https://www.ohara.or.jp/
住民によるまちづくりがスタートするまで
映画にもなった白壁の蔵屋敷、柳並木が特徴的な美観地区は、住民や地元の企業が歴史的景観の保存に積極的に関与し、守り育てる活動により維持管理されている。
倉敷市中心市街地は軍事拠点を持たなかったことから戦禍を免れ、高度成長期になると、倉敷駅前では経済合理性・機能合理性重視の開発が次々と進行していった。しかしながら、地元住民は昔のままの景観を維持することを選択し、そのことは観光で訪れる人々にとって味わいのある地域保全だけでなく、地元住民の帰属意識の高まり、幼少期から同じ風景を見て育つというコミュニティの継続、外に出て行った人が改めて地元の価値を再認識することに繋がっていった。
2004年5月に文化財保護法(改正)、2006年12月に観光立国推進基本法、2008年5月に歴史まちづくり法などの、地域の文化的資産の保全と活用、国民の文化的向上を目的とする法律が制定されたが、それより前の1949年に、都市の再開発や近代化の流れの中で、古い町並みが失われることを危惧した地元住民(有志)が自発的に立ち上がり「倉敷都市美協会」を設立した。これは地域住民による町並み保存運動の団体としては全国でも最初期の一つとされている。この頃から、地元住民による自らのまちづくり活動がスタートしていく。
住民による景観とコミュニティ保全への活動
住民活動の輪は次第に広がっていき、2023年6月には官民連携の組織である「くらしきになるエリアプラットフォーム」が設立された。そこでは、多様な関係者それぞれが当事者となるべくチームミーティング、講演会、勉強会、ユースセッション、まち歩きなどを通じ、未来ビジョンの策定やビジョン実現に向けた取り組みを推進している。その中で3つの将来像(ビジョン)を実現する方策の一つとして、倉敷独自の「くらしきになるパタン」が作成された。エリアプラットフォームの議論の中で繰り返し登場する単語、参加者の90%が共感できる言葉等から、エリアが目指す未来のまちに共通する様子や形、仕組み、関係などを抽出し、56のパタンとして整理し、活動を推進している。
「くらし・き・になる」まちづくり
─地元住民によるまちづくりの出発点
かつてから、大原家によるまちを美しく残そうという思想はありましたが、戦後に地域住民がこの地での素朴な暮らしと風景、立ち並ぶ土蔵の家、小さな町家を残さなければという思いを持ち、1949年に「倉敷都市美協会」ができました。
現在の伝建地区(美観地区内約15ha)は200名ほどが住んでいます。江戸時代から長く明治、大正、昭和の高度成長期までは職住一体で多くの人が住んでいましたが、世代交代していく中で外に出て行く人も多く、2000年以降空き家が増えてきました。このままではいけないと2006年に地元住民と事業者による「倉敷伝建地区をまもり育てる会」が発足しました。
空き家を見ていく中で、ここの建物が殆ど地元の自然素材で地元の大工が作り、環境も経済も循環型の社会だったことに気づき、循環型の社会が大切であること、このまちを存続させていこうという思いのある人により活動が始まりました。
─美観地区におけるコミュニティの形成~移住者との共存~
外から入ってくる事業者には4つのお願いをしています。1つ目はコミュニティ(町内会)に参加してもらうこと、2つ目は内装も倉敷らしいものにすること、3つ目はここに住むストーリーを教えてもらうこと、4つ目は事業をするときに地域に根付くために本店にすることです。そうすることでコミュニティの繋がり、地域への愛着がわくようにしています。しかし、そういった思想を理解し入ってくる人は多くはないことや、必ずしも今あるまちの魅力を理解していない人もいるというのが課題となっています。
コミュニティの存続はこの「風景と家」が媒介になっており、外から入ってくる人・事業者は、ここの風景が好きで「ここの一部として参加する・溶け込みたい」という気持ちで、ここでの生活をスタートさせる。そうしたことを踏まえると、今の活動は建物がある限り続いていくのだろうと思います。
エリアプラットフォームは国の制度としてありますが、大きな鉄道会社や企業等と組んで「官民連携です」というかたちが多く、倉敷のように住民発信でそこに行政が加わるというのは、あまり自治体としては多くありません。町家が壊れていく状況があったので、エリアを少し広げて歴史的な都市環境を作り直すということが、観光にもつながる。まちづくりをしっかりしていこう、観光地になった時にどんなまちづくりをやっていくのかという話し合いがツーリズムジェントリフィケーション※の対応にもなります。
「くらし・き・になる」という意味は、暮らしを気にして、いろいろ行動したり考えたりすることで、あなたも倉敷になれるんだという意味で、自分自身にも時々問いただしています。
※地域が観光客のニーズに応えるかたちで変化し、本来の住民の生活や文化が変容してしまう現象
取材協力:倉敷伝建地区をまもり育てる会副会長 中村泰典様
倉敷市建設局まちづくり部まちづくり推進課主任 桑田恭兵様
https://kurashikidennkenntikuwomamorisodaterukai.studio.site/
https://kurashi-ki-ninaru.jp
倉敷市は2020年に内閣府から「多様な人材が活躍し、自然と共存する “持続可能な流域暮らし”の創造」をテーマに「SDGs未来都市」および「自治体SDGsモデル事業」に選定されています。
主な取り組みの中には「若者・女性・高齢者など多様な人材が活躍できる環境づくり」
「次世代に担い手を育てること」「倉敷の強みである繊維産業や歴史的町並み等の地域資源を活用した観光振興」「災害に強いまちづくりと自然との共存」等が挙げられています。倉敷市は変わらないまちであり続けるために、
住民たちを中心にこうした取り組みを通じ、未来に続く持続可能なまちづくりの実現を目指しています。(鈴木貴子)














