建築やまちをみることについて

-まち鑑賞の浸透と拡散-

2025年11月28日 / 『CRI』2025年12月号掲載

CRI REPORT

目次

ごく普通の建築やまちをみて楽しむことが、ごく普通の娯楽・趣味として社会に定着したと思う。
テレビの美術番組では近代建築が紹介され、ドラマの舞台にもなる※1。
かつては専門家やマニアだけが知る存在だった首都圏外郭放水路※2のような巨大インフラ施設は、今や人気の見学スポットとして年間を通じてツアーが組まれている。
この変容は、戦後日本社会の価値観、メディア環境、そして人々の空間との関わり方がここ数十年にわたって変化し続けたことの現れと考えられる。
本稿では、現代における建築鑑賞が、誰もが主体的に参加し対象も増えてまちのあらゆるものを対象とする「まち鑑賞」と多視的でダイナミックなかたちへいかにして変容してきたかを論考する。

※1【 ドラマの舞台にもなる】テレビ大阪「名建築で昼食を」では「意外と知られていない名建築の中で食べることができる絶品ランチを紹介しており、アドリブを交えながら名建築を巡るドキュメンタ リーパートをドラマパートと組み合わせたハイブリッドな作り方に挑戦している」。
※2【 首都圏外郭放水路】埼玉県春日部市の上金崎から小渕にかけての延長約6.3km 、国道16号直下約50m地点に設けられた世界最大級の地下放水路。特に放水路の調圧水槽を指して「地下神殿」と呼ばれることが多い。これは調圧水槽内にある高さ約18m 、重量約500tの巨大な柱59本が天井を支える光景が神殿のように見えるため。

1 --- 戦後日本の建築鑑賞の萌芽(~1980年代)

1980年代以前の建築鑑賞は、専門家主導による有名建築や歴史的建造物を対象としたアカデミックなものが多い一方で、大衆文化の中で育まれた多様な「場所をみる」実践というもう一つの流れが併存していた。
最初に挙げられるのが、高度経済成長とインフラ整備によって実現した「旅の大衆化」と考えられる。そもそも、日本人は江戸時代からの「詣で」や「お伊勢参り」等の伝統もあり、そこに全国的な道路網が整備されたことにより、目的地まで直接アクセスできる「貸切バス」での団体旅行を爆発的に普及させた。1970年代以降には、これらとは異なった個人旅行のスタイルが生まれる。国鉄の「ディスカバー・ジャパン」キャンペーンは「美しい日本と私」というキャッチコピーで個人の視点による旅を推進した※3。さらにこの流れを後押ししたのが『an・an』や『non-no』といった新しい女性ファッション誌である。これらの雑誌を片手に旅する「アンノン族※4」と呼ばれる若い女性たちは、単に名所を訪れるのではなく、雑誌が切り取った美しい風景の中に身を置き、その世界観を追体験することを楽しんだ。また、雑誌の記事は、旅への期待感を高め、現地での体験をより豊かなものにするためのテキストとして機能した。この文化は、後に『地球の歩き方』や『るるぶ』といった詳細な個人旅行向けガイドブック市場の発展へと繋がっていく。

※3【 ディスカバー・ジャパン】日本国有鉄道(国鉄)が個人旅行客の増大を目的に1970年から始めたキャンペーン。個人旅行の拡大や女性旅行者の増加などの社会情勢の変化とマッチし、キャンペーン としては成功したと見なされている。キャンペーンの副題は「美しい日本と私」。
※4【 アンノン族】1970年代中期から1980年代にかけて流行した現象を表す語。ファッション雑誌や旅行ガイドブックを片手に一人旅や少人数で旅行する若い女性を指した。旅行の主役として女性客が 重視される最初の契機となった現象。

●近代建築

昔々の建築学生時代は、こういったまち中の近代建築も「勉強」の対象であった。「近代建築ガイドブック」(鹿島出版会)を片手に「様式がどうだこうだ」とクビをヒネリながら本当に面白いのかわからない状態で眺めていた記憶がある。今は単純に「かっこいい」「餃子美味い」「エレベーター面白い」と楽しんでいて、それでいいと思っている。(京都市下京区、東華菜館)

2 --- 路上観察学会の登場と「日常の建築」へのまなざし (1980年代~)

1980年代に入ると、それまでの権威的で形式張った建築鑑賞のあり方に疑問を投げかける動きが生まれる。その一つが、1986年に結成された「路上観察学会※5」である。建築史家・建築家の藤森照信、美術家・作家の赤瀬川原平、博物学研究家の荒俣宏など、多彩な分野の専門家が集まったこの会は、既存の学問や芸術の枠組みから自由な視点で、まちに存在するあらゆるものを観察の対象とした。
路上観察学会の活動の根底には、「考現学※6」の考え方があった。これは、関東大震災後の東京の様子を記録した今和次郎によって提唱されたもので、「現在の世相や風俗を調査・分析する学問」を意味する。まちに出て、現代の風景や人々の暮らしの中に潜む意味や変化を見つけ出そうとする姿勢を大切にする。見慣れた日常の景色であっても、考現学の視点を持つことで、まるで冒険のように新しい発見に満ちた場所に変わる。
日常のまち並みが「発見の宝庫」となり、誰もが「探偵」として建築の魅力を再発見できるという視点であった。

※5【 路上観察学会】路上に隠れる建物(もしくはその一部)・看板・張り紙など、通常は景観とは見なされないものを観察・鑑賞する団体。なお本稿では、関根敬介「『路上観察学会』の意義についての 考察」(早稲田大学 中谷礼仁建築史研究室卒業論文)を参考にした。
※6【 考現学】現代の社会現象を場所・時間を定めて組織的に調査・研究し、世相や風俗を分析・解説しようとする学問。考古学をもじってつくられた造語。

●路上観察

まちの中を当て所なく歩いてみるといろいろなものが目に入ってくる。看板1つ、建物のファサード1つを虚心坦懐に見てゆくと、そのうち自分の中にフックができる。それに「引っかかる」とこっちのもの。どう面白いかを言葉にして悦に入り始めるともう、まちあるきが楽しくなってくる。(京都市上七軒)

●銭湯

まちあるきと銭湯は相性がいい。今ほどの猛暑ではなくとも、夏の暑い日のまちあるきは汗だくになる。私は、まちあるきの終点にお気に入りの銭湯を定めて、ひとっ風呂浴びてからビールとしゃれ込んでいた。(路上観察学会の方もそうだったと聞く)これは、尾道の商店街をぶらぶらしていたら遭遇した物件で、銭湯を物販などに綺麗にリノベーションされたもの。盛況であった。(尾道市、大和湯「ゆーゆー」)

3 --- 「まちあるき」ブームの到来と体験型消費への移行 (1990年代~2000年代)

1990年代、日本はバブル経済が崩壊し長い経済停滞期に入った。この変化は、人々の価値観にも大きな影響を与えたと思われる。物質的な豊かさがある程度満たされたことで、人々の関心は、高価なモノを所有する「モノ消費」から、そこでしかできない貴重な経験や心に残る思い出を重視する「コト消費※7」へとシフトしていった。
例えば旅行でも、団体旅行から、個人の興味や関心に基づいて自由に行き先を決める個人旅行が主流となった。人々は、単に有名な観光地を訪れるだけでなく、その土地の文化に触れたり、地元の人々と交流したりといった、より深く、個人的な体験を求めるようになった。これは前述した「ディスカバー・ジャパン」の流れとも考えられる。このような価値観の変化は、建築鑑賞のあり方にも影響を与えた。建築はただ遠くから眺めるだけの対象ではなく、そこを訪れ、空間を味わう、時間そのものを楽しむ体験として捉えられるようになった。
1990年代にメディアを通じて開花し「まちあるき」ブームとして社会に広がっていったきっかけの一つが『東京ウォーカー※8』等のタウン情報誌ブームである。これらの雑誌は、それまで注目されることのなかった特定のまちやエリアに焦点を当て、デートやグルメといった若者の関心事に結びつけて紹介することで、まちを歩くことの楽しさを多くの人々に伝えた。テレビの世界でも、まちあるきをテーマにした番組が次々と登場した。1995年に放送を開始した『出没!アド街ック天国※9』は、全国的に有名な観光地ではなく、首都圏のありふれた「街」を一つ取り上げ、その「街」の魅力的なスポットやお店をランキング形式で紹介するという、当時としては画期的な内容であった。番組スタッフは、表通りだけでなく、狭い路地裏まで徹底的に歩いて調査し、地元の人々とのふれあいを大切に描いた。これらのタウン情報誌やテレビ番組は、単に情報を提供するだけでなく、これまで見過ごされてきた「普段着のまち」に新たな光を当て、魅力的な「観光資源」として提示した。これにより、建築鑑賞は特定の有名な建物を訪れることだけでなく、その建物があるまち全体の雰囲気や歴史、人々の暮らしぶりまで含めて楽しむ、より広がりのある「まちの鑑賞」へと発展していった。

※7【 コト消費】一般的な物品を購入する「モノ消費」に対し「、事」(やる事・する事、出来事=できる事)つまり「体験」にお金を使う消費行為のことで、特に非日常的(アクティブ)な体験が伴う経済活動を指す。
※8【 東京ウォーカー】KADOKAWAが毎月20日に発売していた都市情報雑誌。
※9【 出没!アド街ック天国】1995年から放送されている情報バラエティ番組。

4 --- 鑑賞対象の拡大と趣味の多様化

「日常の風景に価値を見出す」という視点は、人々の興味をさらに多様な対象へと広げていった。例えばこれまで鑑賞対象ではなかった団地のほか、ダム、工場といった巨大なインフラ施設が新たな対象となり隆盛したのである。戦後の深刻な住宅不足解消のため、当時の日本住宅公団により全国各地に建設された団地は、高度経済成長期のサラリーマン世帯の憧れであった。しかし、時代が移り、建物が古くなるにつれて、団地は画一的で魅力に乏しい場所と見なされがちであった。こうした状況に変化をもたらした一つが、「住宅都市整理公団※10」や「公団ウォーカー※11」のような、より多角的に団地の魅力を紹介するウェブサイトである。これらのサイトは、建物のかたちだけでなく、広々とした敷地に配置された公園や豊かな緑、日当たりや風通しまで考えられたゆとりのある設計といった、団地が持つ住環境としての質の高さにも光を当てた。
さらに、ダム、橋、ジャンクション、水門、工場、そして地下放水路といった、これまで専門家や一部のマニアのものであった土木構造物が「ドボク※12」という愛称で呼ばれ、新たな鑑賞文化として注目されるようになった。「ドボク・サミット」※13のようなイベントが開催されるなど、これらの巨大な構造物を愛でる概念が根づき始めたのである。
夜の工業地帯を彩る「工場夜景※14」は、川崎や四日市、北九州等の工業地帯に建ち並ぶ工場群の無数の配管や煙突が複雑に絡み合い、夜空に放つ光の群れがSF映画の未来都市や宇宙ステーションを想起させると話題になった。その妖しい魅力を表現するのに「工場萌え」なる言葉も生まれた。そのうちに水上から工場夜景を鑑賞するクルーズツアーも人気を博し、現在では全国協議会まで組織される広がりを見せている。
ほかには巨大地下空間がある。その代表が、埼玉県春日部市にある治水施設「首都圏外郭放水路」である。大雨の際に川の水を一時的に溜め込むこの施設の中心部「調圧水槽」は、巨大な柱が林立する荘厳な空間から「地下神殿」と呼ばれ、大きな注目を集めた。実際に地下深くへ降りて、その巨大な空間を体感できる有料の見学ツアーも開催され、参加者は普段決して見ることのできない巨大な柱や水の流れを制御するタービン、インペラ(羽根車)を間近にし、その圧倒的なスケールに息をのむ。

こうした見学ツアーは、鑑賞を単に目で見る行為から、五感でその場の空気やスケールを感じる「探検」や「冒険」のような体験へと変えていった。
団地やドボクといった、これまで一般の人には馴染みのなかった対象への関心が広がる中で、その究極ともいえるテレビ番組が登場した。NHK「ブラタモリ」である。2008年のパイロット版放送開始以来の長寿番組である。その魅力は、多趣味で知られ坂道などの地形が好きで、日本坂道学会副会長を自称するタモリが、専門家と共にまちを歩きながら、一見すると何でもない坂道や崖、土地のわずかな起伏や、建物の痕跡に着目し、そこに秘められたまちの成り立ちや歴史の物語を解き明かしていく点にある。地質学や考古学、建築史といった専門的な知識を、タモリならではのユニークな視点とユーモアを交えて紹介することで、知的好奇心を満たす新しいかたちのエンターテインメントとして確立した。この番組が広く受け入れられたことは、路上観察から始まったまち鑑賞やまちあるきという文化が、誰もが楽しめる知的な娯楽として完全に定着したことを示している。
また、「ブラタモリ」においても専門家が観察に補助線を引くことにより、単なるまちあるきにはしていない。大学の先生、地元の学芸員や郷土史家といった面々が目の前の建物や道や地形について理路整然と説明し、それにタモリが当意即妙にコメントを加え驚きと共に視聴者を納得させる。まさに「おもしろくってためになる」 を数十分に凝縮した番組である。

※10【 住宅都市整理公団】http://danchidanchi.jp/
※11【 公団ウォーカー】https://codan.boy.jp/
※12【 ドボク】「土木構造物のみならず土木の特徴の一つである機能性重視という性格を持つ建築物(工場や団地など)まで含めた領域を愛でる鑑賞法を示すために無理やり定義された“表現法”」。 2008年に生み出された概念で、土木構造物のみならず産業施設や建築物も含めた社会基盤として捉えられる対象物全般に、愛情を込めて名付けられたとしている。
※13【 ドボク・サミット】ダム、工場、ジャンクション、水門などの「土木的な」建造物を愛好する人々が集まるイベントで、2008年に武蔵野美術大学で開催されたイベントは書籍『ドボク・サミット』にまとめられている。
※14【 工場夜景】現在は2017年に発足した「 全国工場夜景都市協議会」公式HPがある。 https://kojoyakei.info/

●産業遺産

産業遺産巡りも昔は本当に大変だった。「そういう趣味だ」と他人に説明をするのも大変だし、現場までたどり着くのも大変だった。かつては軍艦島もそうだったが、今や公式のクルーズ船があり見学順路も定められており、ごく普通の人たちが記念撮影に興じることができる。(長崎市端島(通称「軍艦島」)

5 --- デジタルメディアとSNSが変える建築鑑賞 (2000年代後半~現代)

2000年代後半から本格化したインターネットとスマートフォンの普及は、まち鑑賞のあり方を再び大きく変えた。誰もがいつでもどこでも情報を検索し、自ら発信できるようになったことで、鑑賞の舞台は物理的な空間からインターネット上のデジタルな空間へと大きく広がった。
SNSの登場は、建築鑑賞のスタイルに多様な影響を与えた。特に、画像中心のInstagramは、「インスタ映え」する美しい建築写真を多くの人々の目に触れさせ、これまで建築に関心のなかった層にもその魅力を広げるきっかけとなった。一方で、建築鑑賞の深化とコミュニティ形成においては、テキストベースのコミュニケーションが重要な役割を果たした。Twitter(現X)のようなプラットフォームでは、特定の建築物やテーマについて、発見や考察がリアルタイムで共有され、言葉のやりとりが生まれた。なぜその建築が面白いのか、その背景には何があるのかといった言葉を交わして楽しむのである。このような「テキストを重視する文化」はブログの世界でさらに発展した。団地、工業化住宅、ドボクといったニッチなテーマを深く掘り下げ、豊富な写真と詳細な解説でその魅力を伝える個人ブログが数多く登場し、同じ趣味を持つ人々の情報交換のハブとなった。さらにそれに飽き足らない人たちは、オンラインにとどまらず、自らの知見をまとめた「同人誌(ZINE)」を作成し、コミックマーケットや文学フリマ※16といったイベントで発表するなど、テキストメディアの隆盛にも繋がっている。
このように、SNSやブログは、画像による魅力の拡散と、テキストによる深い考察の共有という両輪で、建築鑑賞をよりオープンで、多くの人が参加できるインタラクティブな文化へと進化させる強力な推進力となっている。
SNSによって誰もが気軽に建築の魅力を発信できるようになった一方で、実際の建築空間でしか得られない、より深い体験を求める動きも活発になっている。その代表例が、大阪で開催される「生きた建築ミュージアムフェスティバル大阪(イケフェス大阪)※17」や、近年東京で始まった「東京建築祭※18」である。これらのイベントでは、普段は非公開の建物内部の公開や、専門家の解説が売りでもあり開催されるごとに満員御礼となる人気を博している。これは、デジタルでの情報共有が、逆にリアルな場での「本物」の体験への渇望を刺激している現れではないだろうか。

※16【 文学フリマ】文学作品展示即売会。出店者が自ら作った作品を自ら手売りするフリーマーケット形式のイベント。
※17【 イケフェス大阪】運営する一般社団法人生きた建築ミュージアム大阪のサイト。 https://ikenchiku.jp/
※18【 東京建築祭】2025年のサイト。 https://tokyo2025.kenchikusai.jp/

●映え

京都駅(原広司設計)と浜松市秋野不矩美術館(藤森照信・内田祥士設計)。片やトラス構造でガラス屋根を支えた未来的な大空間を要する巨大ターミナル駅、片や「縄文建築」を標榜する藤森氏のローテク、自然素材利用の懐かしくもチャーミングな小品。両極端にも見える2つを並べるとより「映え」るのも愉快。なお、秋野不矩美術館の方が1年「新しい」のだ※15。

※15【 竣工年】京都駅1997年、秋野不矩美術館1998年である。

●喫茶店

まちあるきには喫茶店もつきものである。歩くのにくたびれたら喫茶店、まちや建物に感動したら落ち着くのに喫茶店、なにはなくとも喫茶店、である。最近は個人店が減り、チェーン店にお世話になることも多いが、その日の成果を話すだけで楽しいものである。そして偶然入ったお店で、素晴らしいおもてなしを受けることもある。あなたも、いったんCRIを閉じてまちに出ませんか?(京都市寺町通り)

まとめ

建築鑑賞は、この数十年で、誰もが日常の中で主体的に楽しめる、豊かでダイナミックな文化へと大きく姿を変えた。この「建築やまちをみること」の広がりは、単に新しい趣味が生まれたということ以上の、非常に望ましい変化であったといえる。それは、人々が自らの暮らしの舞台である身近な建物やまち並みに改めて目を向け、そこに刻まれた歴史や文化、人々の営みの跡、そして時として圧倒的なスケールや機能美に気づくきっかけとなったからである。さらに、建物やまちに興味を持つ人が増えることで、その熱意は所有者や使用者にも伝わっていく。これまで当たり前の風景だと思っていたものが、多くの人から「価値がある」と教えられることで、所有者の意識も「大事にしなければ」と変わる。その結果、建物やまちはより大切にされ、輝きを増し、さらに多くの人を惹きつけるという好循環が期待できるのではなかろうか。
建築やまちはもはや、一部の専門家や批評家が語るだけのものではない。それは、私たちの日常に根ざし、私たち自身によって発見され、体験され、そしてSNSなどを通じて共有される「生きた文化」となった。言わば「浸透と拡散」である。その変化は、建築が持つ本来の価値を、多くの人々が再認識する機会を与えてくれる。これからも、多様な視点から建築やまちを深く味わうことが、私たちの生活そのものを豊かにし、文化的な奥行きを与えてくれることに繋がるだろう。(高橋徹)