集まって住むこと

〜都市居住の「機能」と「意味」のバランスとは〜

2026年03月03日 / 『CRI』2026年3月号掲載

CRI REPORT

目次

0 はじめに

人びとが都市に集まり暮らすことは、産業革命以降の都市構造を特徴づける現象であり、日本においても近代以降の都市形成を考える上で重要な前提となってきた。日本では、高度経済成長期以降、都市への人口集中は加速し、住宅不足への対応や土地利用の効率化、インフラ集約といった複数の合理性を背景に集合住宅が急速に普及した。この「集まって住むこと」は、単なる居住形態の選択にとどまらず、社会や経済、さらには人びとの生活様式にも影響を及ぼしている。
近年、都市はより高度な機能を備え、経済合理性や利便性を追求する一方で、その過程において、歴史や文化の希薄化、コミュニティの分断といった課題が顕在化している。都市の「機能」が進化すればするほど、「意味」――すなわち、そこに住むことの価値やアイデンティティーが失われつつあるのではないか。再開発の末に作られたまちの多くは、金太郎飴のようにどこも同じような、特色のないまちが増殖しているようにさえ感じる。
本稿では、統計データをもとに都市集中と集合住宅の現状を整理した上で、事例紹介として、都市の中でコミュニティ形成(都市の「意味」を見出す)が試みられている実践を取り上げる。これらの事例は、文化創出や地域との関係性の再構築を通じて、都市居住に新しい意味を見出そうとする試みである。
都市の「機能」と「意味」という二つの側面を行き来しながら、今後のよりよい都市居住について考察する。

1 都市集中と居住形態の変化

日本では、人口と居住のあり方が長期的に大きく変化してきた。2020年国勢調査(総務省)によれば、人口集中地区※1(DID)に居住する人口は、総人口の約9割を占めており、極めて高い水準で都市部に集中している。その集中先は、首都圏※2、近畿圏※3、中京圏※4といった三大都市圏に偏っており、特に東京都は全国人口の約1割を占めている。
こうした都市集中は、住宅の形態にも表れている。2023年住宅・土地統計調査(総務省)によれば、1970年までのすべての住宅に占める共同住宅(≒集合住宅)の割合は17.5%にとどまっていた。それから30年後の2000年までの比率は、41.0%へと上昇し、現在公表されている2023年9月までのデータでは44.6%となっている(図表1)

およそ50年の間に、日本の住宅ストックにおいて共同住宅は倍以上の割合を占めるようになり、居住の前提条件そのものが大きく変化してきたことがわかる。
この傾向は、都道府県別にみるとさらに鮮明になる。2023年住宅・土地統計調査(総務省)をもとに各都道府県の共同住宅比率を算出すると、東京都では71.6%と住宅の大半が共同住宅で占められている。沖縄県でも60.9%※5と高い水準を示し、大阪府、神奈川県、福岡県とこれに続く。これら上位の都府県はいずれも概ね55%以上が共同住宅であり、人口集積が進んだ都市圏では、集合的な居住形態が標準になっていることが読み取れる(図表2)

また、居住形態の変化と並行して、世帯構成もこの半世紀で大きく変わってきた。国立社会保障・人口問題研究所による「日本の世帯数の将来推計(全国推計)(令和6(2024)年推計)」では、1980年代には核家族※6からなる世帯が主流であったが、2025年には全世帯の約4割が単独世帯で占められるようになっている。さらに今後も単独世帯の割合は上昇し続けると見込まれている(図表3)

このように都市に人口が集中し、住宅は集合化し、世帯は小規模化している。これらは、公的統計が一貫して示している日本社会の構造的変化である。現在の都市は、高い密度と効率性を備えた空間として形成されてきたが、その一方で、こうした環境の中で人びとがどのように関係を結び、どのように居住の意味を見出しているのか、改めて問い直される段階にきているのではないだろうか。

※1 人口集中地区:「人が密集して住んでいる市街地」を客観的に示すための統計区域のこと。人口密度が1㎢あたり4,000人以上の調査区が隣り合って集まり、合計人口が5,000人以上になっている区域のこと。1960年から導入された。https://www.stat.go.jp/data/chiri/1-1.html
※2 首都圏:1都3県(東京都、神奈川県、埼玉県、千葉県)
※3 近畿圏:2府1県(大阪府、京都府、兵庫県)
※4 中京圏:3県(愛知県、岐阜県、三重県)
※5 沖縄県の数値について:沖縄県については、大都市圏における高密度化とは異なり、亜熱帯特有の気候特性や社会的構造を背景に、賃貸集合住宅が多いことで、相対的に⼾建て住宅の⽐率が低いといった地域特性がある。
※6 核家族:ここでは、夫婦のみ/両親と子/ひとり親と子の総数でみている。

2 都市の「機能」と「意味」

本稿では、多様な目的を内包する複合体である都市を「機能」と「意味」という評価軸で整理する。
まず「機能」は、経済活動や移動の効率、インフラの整備、住宅の供給といった都市に人を集める構造的な要因である。
都市機能の高度化は、交通網の充実やサービスアクセスの向上、住宅市場の安定といったかたちで現れる。しかし、こうした都市機能が優先された計画は、ときに効率や速さだけを重視し、人間的な体験や地域文化の持続性というものを後方に追いやることがある。必ずしも同義ではないが、ここでの「機能」はハードと言い換えることができるだろう。
他方で「意味」は、都市やまちが人びとにとってどのような価値を持ち、どのようなアイデンティティーを形成しているかということである。意味は、人びとの歴史や記憶、コミュニティや文化的な結びつきと深く関係するが、定量化が難しいため都市政策の中心から離れがちである。ここでの「意味」は、ソフトと言い換えることができる。
なお、本稿における「都市」とは、人口・資本・機能が高密度に集積し、人びとが互いに匿名性を保ったまま共存することを可能としている生活環境を指している。それは、利便性や効率化を高める一方で、意味や関係性が自発的には立ち上がりにくい条件を内包する空間でもある。また、本稿でいう「意味」とは、都市が人びとにとって単なる機能的な居住の器ではなく、他者との関係や時間の積み重ねを通じて、「ここに集まって住むこと」に納得や価値を見出せる状態を指している。
それは、予め設計されるものというよりは、暮らしや関わりの中で徐々に立ち上がっていくものであり、本稿ではそのプロセスにも着目する(P5 Case study❶、P6 Case study❷)。

「機能(ハード)」と「意味(ソフト)」の不均衡

都市は、効率的に人や資源を集める「機能」を必要とする一方で、人びとの生活に根ざした文化や記憶といった「意味」によって暮らしの豊かさをかたちづくっている。これらは対立するものではなく、「機能」を維持するためには「意味」も必要であり、「意味」を持続させるには「機能」も必要であるという相互作用が存在する。
しかし、現在の再開発やコンパクトシティ・スマートシティと呼ばれるものは、「機能」と「意味」が分離したまま計画や開発が進むことも少なくない。そのため、経済合理性や利便性、効率性ばかりが注視され、どこも似たような画一化した景観や人びとの生活パターンが生み出されていると感じる。
また、ICTやセンサーを前提とする管理・監視網が、私たちの人間的側面を弱める危険性もある。
例えば、オートロック付き集合住宅で、不審者が共連れ手口で集合住宅内に侵入した場合、住民同士の挨拶をする習慣があるところでは、犯罪の抑止力につながることもある。
実際に以前取材をしたオートロック付き大規模集合住宅では、一斉入居した当初は、誰が住民で誰が不審者であるかわからない状態で、不法侵入や空き巣、盗難といった事件に悩まされていた。そこで、警察からの助言もあり、住民同士の挨拶運動を子どもから大人まで徹底して行ったところ、徐々に事件は起きなくなったという。
挨拶だけですべてを解決できるわけではないが、オートロックシステムや防犯カメラがあっても、人が希薄化している社会では、それらは犯罪の抑止力として機能せず、むしろ危険性を高めている可能性もある。
エリア内、敷地内等、同じ空間を共有する人とすれ違えば、挨拶をするという単純なことだが、この人としての営みすら失いつつある都市の中で、どのようにすれば「意味」を大切なものであると再認識し、ハードを計画する際にソフトを持続可能なかたちで組み込むことができるのか。デベロッパーや不動産会社、建設・建築会社の役割は、今後一層重要になる。

3 都市の「意味」の希薄化と孤立

都市におけるコミュニティの希薄化は、年齢に関係なく単身世帯や転居頻度の高さと合わせて、孤立感や孤独感の増加につながることがある。利便性が高いという強いインセンティブによってまちが選ばれている場合、住民がそのまちで暮らす「意味」を考えたり・感じたり、しにくくなる。その現状が、周囲の人やまちに対して無関心になりやすくさせる要因の1つでもある。また、さまざまなサービスが充実していることもあり、周囲の人と関わらなくても生活が成立してしまうということもある。
しかし今後、高齢化が進む都市部においては介護等のサービスだけでなく、日常的な近隣関係を活かしたセーフティネットとも呼べる関係性が必要だといわれているが、このソフトの部分が十分に組み込まれているとは必ずしもいえない。
2025年10月に調査され、同年12月に公表されている内閣府の「社会意識に関する世論調査(速報)」では、社会での貢献意識や望ましい地域での付き合い等の結果が示されている。
そこでは、何か社会のために役に立ちたいと思っている人が約6割いる一方で、望ましい地域での付き合いの程度は、「世間話や挨拶程度の軽い付き合い」を望ましいと考える人の割合が、年々増加している。それと反比例するように「困った時に助け合う」といった強い関わりを必要とするものの割合は減少している(図表4)

都市でのプライバシー重視という「機能」が強くなりすぎた結果、周囲の人との関係性を断ち切りやすい構造になっているともいえる。

4 都市居住に現れる3つの老い

都市居住の主流である集合住宅は、都市の限られた土地を効率的に利用し、多くの人びとに居住の場を提供してきた。こうした集合住宅をめぐっては、都心部では比較的高い資産価値が維持されている一方で、郊外や地方部では空き家化や価格下落が進むなど、不動産価値の二極化も顕在化し始めている。
その背景には、都市居住を支える「機能」と「意味」の歪みが生じ始めていると考えられる。
高度経済成長期からバブル期にかけて大量に供給されてきた集合住宅の多くが築40年、50年を超え、耐震性や設備性能、防火性能等の低下が指摘されている。これは物理的な安全性という「機能」の問題であると同時に、居住環境への満足度、住み続けたいという意識やそれらに対する関与、すなわち居住の「意味」を損なう要因ともなる。
また、単身高齢者や高齢世帯の増加により、管理組合の運営や日常的な合意形成を担う人材が不足することにもなる。
人の入れ替わりが起きにくい一部の集合住宅では、コミュニティが固定化し、より外部との関係が希薄化しやすい状態になる。このことは、都市居住における孤立・孤独の問題とも密接に関係している。しかし、孤立・孤独の問題は高齢者に限ったことではなく、若い世代にも起こりえることである。
そして、見過ごされがちな問題として、管理人や清掃員、修繕を担う技術者といった「支える側」の高齢化もある。集合住宅は、人の手によって日常的に維持管理されることで、機能している空間である。その担い手が不足すれば、すべてを第三者に任せるということが難しくなり、居住者もその役割を分担する必要が出てくる可能性もある。そうでなければ、維持管理が十分に行えなくなり、生活の質が低下することになる。
これらの3つの老いは、それぞれが独立した問題ではなく、相互に関連しながら集合住宅の持続性を脅かすことになる。  
この課題は、単なる建物更新や効率化では解決が難しく、人が集まって住む意味を再構築する視点が求められる。

Case study❶ 有明・辰巳・新木場

Case study❶では、企業の想いやメッセージを形にし、展示会やイベントなど、体験デザインを行っている株式会社博展(以下、博展)のデザイナー中榮康二氏にインタビューを行った。

文化は「意味づくり」から

2023年、有明にある私立高校から「授業の一環としてミコシを作りたい」という相談が博展に寄せられた。単なる制作協力に終わらせるのではなく、博展が辰巳にスタジオ移転後に感じていた「埋立地であるこの周辺には、そもそも文化がないのではないか」という問いに向き合うプログラムとして再構成されている。
まず、文化は新しく生み出す前に、既にこの地に存在するものを見つけ、意味づけし、引き継いでいくことでもあると捉え、「まちを知ること」から始めた。高校生たちはチームに分かれ、有明周辺を歩く「路上観察(フィールドワーク)」を行い、気になる風景やモノを拾い集める。こうして発見した数々の有明の断片をコラージュし、ミコシを制作することになった。
本来、神輿は神社の神が宿る乗り物である。しかし、神社がないこの人工的な場所だからこそ、学校で作るミコシに乗せるものは「人びとの想い」とし、コラージュミコシの飾りとして絵馬を掲げるデザインを高校生自身が考案した。この絵馬は、実際にまちの人びとがそれぞれの願いを書き込んだものを用いて制作を行った(絵馬は初年度のデザインのみ)。

高校生の取り組み

本プロジェクトは探求授業の一環として、高校1年生の1クラスが毎年取り組むため、ミコシが毎年作り替えられる。
初年度は手厚くサポートをしていたが、翌年以降は高校生が主体的に運営できるようになってきている。地域の企業や地域活動を行っている方々に声かけをするなど、高校生自身でサポートの輪を広げる取り組みも行われている。また、商業施設のイベントでミコシが使用されたこともある。
現在もミコシ制作には、辰巳スタジオを提供し、博展内の制作スタッフやデザイナーもモノづくりのサポートに携わっている。

意味づくりとイベント

イベントを一過性のものとして扱うと、消費されるだけで意味づくりには結びつきにくい。イベントは、ハードとソフトの中間的な意味合いを持ち、ひとの営みに注目し、体験と共感をつくり、コミュニティを育んでいく。また、協力者や賛同者を得るための運動にも似た意味合いがそこには含まれている。ひとがつながるためには、前提条件として信頼関係が必要であるが、すぐに育まれるものではなく時間がかかる。まるで「レンガを一つずつ積み上げる」かのように、ゆっくりしか進まない。また、イベントを継続するためには、財・クリエイション・運営の3つが揃い、各々が重なるようなかたちで動いていかなければうまくいかない。

持続可能な方法を探る

数年の活動を通じて、新木場の材木店や地域企業との関係が少しずつ育まれてきた。これらは、即効性のあるわかりやすい成果ではないが、この小さな積み重ねこそが信頼につながっている。その根底には、「一時的なムーブメントで終わらせるのではなく、そこに根づき持続できるかたちを皆で模索し続ける」といった地道な継続を重視する姿勢が必要だといえる。

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Interviewee Profile
中榮 康二 氏 株式会社博展 デザイナー・一級建築士
デザイナーとして、ウィンドウディスプレイやイベントのデザインに従事。近年は、地域や教育機関と関わるプロジェクトにも取り組んでいる。
株式会社博展(https://www.hakuten.co.jp/)とは、「人と社会のコミュニケーションにココロを通わせ、未来へつなげる原動力をつくる。」をパーパスに掲げ、顧客体験を創造するクリエイティブカンパニー。
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Case study❷ 大阪中津

Case study❷では、大阪を拠点に建築家として活動する傍ら、学生たちに建築設計の指導も行っている岸上純子氏にインタビューを行った。

まちにひらく・まちのひととつながる

岸上氏は、「まちにひらき、まちとつながる」ことを実践してきた建築家である。設計者であると同時に、その場所で暮らす生活者としてまちに関わる姿勢は、事務所開設当初から一貫している。ガラス越しに地域の人や子どもとも自然に交流が生まれた経験を通じ、設計事務所がまちを元気にする存在になりえると確信した。
  この経験を経て2015年、中津商店街で築100年を超える木造長屋と出会い、中津のまちとの本格的な関係が始まる。老朽化した建物を自らの手で2年以上かけて改修し、自宅兼オフィスへと再生させた。工事中の仮囲いには、複数の小窓を設け、通りがかりの人が自由に中をのぞける仕掛けを施すことで、完成前からまちのひととのゆるやかな対話を育んだ。
完成した木造長屋SPACESPACE HOUSEは、商店街に面したガラス張りの空間と室内側から連続するデザインで商店街側に縁側ベンチを備えている。シャッター通り化していた商店街に対し、自らひらくことで、近所の人もシャッターを開けてほしいという願いが込められていた。

長屋の購入書類に記されていた「商店会費500円」

長屋を購入する際の書類に記されていた「商店会費500円」という文言は、長屋購入の大きな決め手になったという。そこには、シャッター通り化が進む商店街に再び賑わいを取り戻したいという思いがあった。まちの協力者とともに、近隣の飲食店や企業を巻き込みながら仲間を増やし、途絶えていた地蔵盆を現代的に再解釈した「夏ぼんぼり祭り」など、まちにひらかれた行事を企画・実行していった。

さらに、事務所前に屋台(立ち飲みスタンド)を設け、月に一度、土曜日の昼間に地域内外の人びとが集う場を提供している。屋台ではドリンクのみを販売し、食べ物は各自が商店街で購入して持ち寄るスタイルとすることで、自然とひとの動線が商店街全体へと広がっていく。このツキイチ屋台は、人の回遊を生み出す仕掛けとして機能している。

商店街に差し込んだ光と影

商店会復活の決め手となった出来事は、2018年の台風による商店街のアーケードが破損したことだった。垂れ下がったテントは安全面での懸念があり、撤去には商店会関係者全員の合意と、商店会自ら資金を捻出する必要があった。約1年に及ぶ調整を経て、危険な状態は解消され、商店街には自然光が差し込み、開放的な空間が生まれた。こうした変化と、これまで積み重ねてきた地域での取り組みに惹かれて、若いアーティストや飲食店など、新たな人びとが集まってきた。
一方で、その変化が別の側面を生み出していることも見逃せない。商店街や地域活動の協力を仰いでも非協力的だった一部の不動産所有者が、周辺環境の価値向上を背景に、地代や賃料を大幅に引き上げる動きが近年顕在化している。その結果、時間をかけてこのまちの文化や関係性を育んできた人びとが、継続的に活動することが困難になり、別の場所へ移らざるを得ない状況も生まれている。
まちがひらかれ、魅力を帯びる過程で、その価値を誰が享受し、誰がそこに居続けられるのかという問いが浮かび上がっている。経済合理性のみを優先すれば、多様な人びとの営みの継続性が損なわれかねないという現実が今まさに目の前で起こっている。

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Interviewee Profile
岸上 純子 氏 SPACESPACE一級建築士事務所 建築家・一級建築士
株式会社坂倉建築研究所を経て、独立。大阪工業技術専門学校特任教員、関西大学、滋賀県立大学、立命館大学非常勤講師。
主な受賞:日本空間デザイン賞 銀賞、銅賞、日本建築士会連合会賞、大阪建築コンクール大阪府知事賞、日本建築学会作品選集等多数。
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5 まとめ「機能」と「意味」を統合した都市居住の再構築へ

本稿では、都市への人口集中と集合住宅の普及という現象を出発点に、都市の「機能」と「意味」の乖離、そして人びとが「集まって住むこと※7」が抱える課題を整理してきた。
効率性や経済合理性を追求してきた都市は、高度な機能を獲得した一方で、人がそこに住むことの実感や価値、すなわち都市居住の「意味」を十分に育んできたとはいいがたい。
特に、集合住宅の顕在化する3つの老いは、都市居住が抱える構造的な課題ともいえる。これらは物理的・人口学的な問題だけでなく、住民同士の関係性や地域とのつながり、生活を支える仕組みそのものが弱体化していることを示している。
こうした課題に対して、都市の「機能」と「意味」を二項対立的に捉えるのではなく、両者を統合的に再構築する視点が不可欠である。「機能」とは、交通、住宅、インフラ、サービスといった都市を形づくる基盤であり、「意味」とは、文化、アイデンティティー、コミュニティ、居住の実感である。「機能」がなければ生活は成り立たず、「意味」がなければ都市は単なる消費されるだけの空間となる。
近年注目されるスマートシティやコンパクトシティも、その方向性次第では、効率性や管理性を過度に重視した監視型都市へと傾きかねない。ICTやビッグデータの利用は、管理のための目的ではなく、人と人、人と場所をつなぐための補助的な手段として位置づけられるべきである。技術の活用は目的ではなく、「意味」を支えるための手段であることを忘れてはならない。
この点において、民間事業者や不動産開発者が果たす役割は大きいだろう。単なる資産やハード(箱)として供給するのではなく、住民が関わり合い、役割を持ち、時間と共に価値を更新できる「場」として設計・運営することが求められる。特に、集合住宅においては管理を外注化するだけでなく、住民や地域と協働しながら運営する仕組みは、3つの老いへの対応策にもなりえるだろう。

ソフトの部分である「意味」を育てるには、不動産や建設・建築に関わる人たちの協力をなくしては進まない部分もある。「ハードだけを作って終わり」や「見せかけだけのソフトを作って終わり」ではなく、開発をする者の責任として、持続的に関わり続ける姿勢が求められる。
例えば、組織としてのまちづくりマネジメント会社を作るのではなく、従業員個人が、まちのことや自ら住む集合住宅に関わる活動に充てられるよう、月8時間までは就業時間内で活動してもよいといった社内ルールやその成果を会社内で発表共有し合える場があることで、関心はあっても時間や自信がない人の後押しができる仕組みになるのではないか。
また、まちや集合住宅での活動は、会社人としての役割ではなく、一個人として関わるものである。利益相反や個人のモラルといった課題は残るが、人口減少と高齢化が進む中で、住生活を守るためには一歩踏み出さなければ、都市も生き残れないだろう。
ケーススタディでは、制度や大規模開発の枠組みの外側で、地域に新しい文化や関係性――すなわち、「意味」をつくり出そうとしているプロセスを紹介した。このプロセスの中に、都市の「機能」と「意味」の融合が図れるヒントが隠れているのではないだろうか。また、すべての不動産事業者に当てはまるわけではないが、取材の中では、文化や意味づくりといった「短期間では形成されないもの」には一線を画す姿もいくつか語られていた。
  「集まって住むこと」の意味とは、効率的に居住することだけではない。狭い範囲に大勢の人が暮らしているからこそ他者と偶然に出会い、関係性が生まれ、その場所に物語を重ねていくことでもある。この偶然の積み重ねを「面白がることができる」ということも、都市・まちに住む意味の1つだろう。それぞれの地域や場所にとっての「機能」と「意味」が相互補完し合うところを見出し、そのあわいを設計・運営していくことこそ、不動産や建設・建築に関わる企業の使命ではないだろうか。
効率的に管理される「機能的空間」から、人が関係を結び物語を重ねていく「意味ある場所」へ再編集されるためには、開発・運営に関わる側が時間をかけて責任を持ち続ける覚悟が求められる。(豊田可奈子)

※7 集まって住むこと:広義では、「都市・まち」を指し、狭義では、「集合住宅」を指している。