震災復興のその先へ進む「宮城県石巻市」

~記憶と教訓を未来へつなぐ都市~

2026年10月02日 / 『CRI』2026年10月号掲載

変わるまち・未来に続くまち

目次

2011年3月11日に発生した東日本大震災から15年。
宮城県石巻市は、巨大津波により市街地の広範囲が浸水し、全国でも最大級の被害を受けた地域の一つである。
多くの尊い命が失われ、住宅や公共施設、産業基盤などに甚大な被害が生じ、市民生活は大きな影響を受けた。
震災後、石巻市では「石巻市震災復興基本計画」に基づき、高台移転や防災集団移転促進事業、土地区画整理事業、復興公営住宅の整備など、復興まちづくりが段階的に進められてきた。
その結果、被災地の風景は震災当時から大きく変化し、安全・安心な生活環境の再構築が進んでいる。
一方で、人口減少や少子高齢化、地域産業の担い手不足など、全国の地方都市に共通する課題への対応も求められている。
復興事業が大きな節目を迎えた今、石巻市では復興のその先を見据えた持続可能なまちづくりが新たなテーマとなっている。
震災の経験を教訓としながら、防災性の向上と地域の活力創出を目指す石巻市。
今回は、震災から15年を迎えた石巻市の歩みを振り返るとともに、復興後のまちづくりの展望についてレポートする。

写真提供:石巻市

石巻市の概要

石巻市は宮城県北東部に位置し、人口約12万9,000人を擁する宮城県第2の都市である。太平洋に面し、世界有数の漁場である三陸沖に近接することから、水産業や水産加工業とともに商業・サービス業など多様な都市機能が集積し、宮城県東部の拠点都市として発展してきた。

2005年には旧石巻市と周辺6町が合併し、牡鹿半島や北上川流域、網地島や田代島などの島しょ部を含む広域的な市域を有する自治体となった。市街地は北上川の河口部を中心に形成されており、石巻港や石巻漁港をはじめとする産業基盤と、豊かな自然環境を併せ持つことが特徴である。

交通面では、JR仙石線や三陸自動車道などにより仙台市と結ばれ、経済・行政・医療など多方面で県東部地域を支える中核都市として機能している。

石巻魚市場:荷捌き所の延長は875.47mあり、ギネス世界記録にも認定されている。

東日本大震災から15年―復興まちづくりの歩み

2011年3月11日、マグニチュード9.0の東北地方太平洋沖地震が発生。震度6強の揺れと、その後に襲来した巨大津波により、石巻市では死者3,188名、行方不明者414名(2026年2月末時点)にのぼる甚大な被害が生じた。市街地の広範囲が浸水し、住宅、商業施設、港湾、漁港、道路など多くの都市機能が壊滅的な被害を受けた。

震災後に策定された「石巻市震災復興基本計画」では、①災害に強いまちづくり ②産業・経済の再生 ③絆と協働の共鳴社会づくりを基本理念に掲げ、復興事業が進められてきた。

住宅再建やインフラ復旧に加え、防災集団移転促進事業や土地区画整理事業、防潮堤や避難道路の整備などが進められ、市街地の再編が大きく進展した。

写真提供:石巻市(平成23年3月11日17時頃撮影)

高台移転と都市構造の再編

石巻市の復興まちづくりを特徴づける取り組みの一つが、津波被害の教訓を踏まえた居住地の再編である。

東日本大震災では沿岸部を中心に広範囲が浸水し、多くの住宅が被災した。このため石巻市では、防災集団移転促進事業や土地区画整理事業などに取り組み、高台や内陸部への住宅移転、宅地整備を進めてきた。また、道路や公園などの都市基盤整備もあわせて実施され、安全性の向上が図られている。

さらに、津波浸水区域では災害危険区域の指定や土地利用の見直しが進められ、将来の津波被害の軽減を図るまちづくりが進められてきた。こうした取り組みは、被災前の姿に戻すだけではなく、災害リスクを踏まえて都市構造そのものを見直す復興まちづくりの特徴的な事例として位置づけられている。復興事業の完了を受け、今後は震災の経験や復興によって整備された都市基盤をどのように活かし、次世代へ引き継いでいくかが重要となっている。

次世代への震災伝承

震災復興を象徴する空間の一つが、2021年に全面開園した石巻南浜津波復興祈念公園である。

同公園は、東日本大震災で犠牲となった人々への追悼と鎮魂、震災の記憶と教訓の伝承、そして復興への強い意志の発信を目的として、国・宮城県・石巻市が連携して整備した復興祈念公園である。園内には追悼の広場や国営追悼・祈念施設、みやぎ東日本大震災津波伝承館などが整備されており、多くの来訪者が震災について学び、記憶を共有する場となっている。

また、公園周辺には石巻市震災遺構門脇小学校が立地しており、震災の事実と教訓を後世へ伝える役割を担っている。震災前には住宅地が広がっていた南浜地区は、津波によって壊滅的な被害を受けたが、現在では追悼・伝承・交流の機能を併せ持つ新たな公共空間として再生された。

震災から15年が経過し、震災を直接経験していない世代も増えつつある。石巻南浜津波復興祈念公園は、復興の歩みを未来へ伝えるとともに、防災・減災の重要性を発信する拠点として重要な役割を果たしている。

みやぎ東日本大震災津波伝承館

石巻市震災遺構門脇小学校

写真提供:石巻市

中心市街地の再生と持続可能なまちづくり

震災後、石巻駅周辺や北上川沿いでは、土地区画整理事業や道路整備などの復興事業が進められ、都市基盤の再構築が図られてきた。また、中心市街地においては、まちなかのにぎわい創出や回遊性向上を目指した様々な取り組みが進められている。

北上川沿いでは、国土交通省の「かわまちづくり」制度を活用した空間整備が進められており、水辺空間を活かした新たなまちづくりが展開されている。石巻市は古くから北上川の舟運とともに発展した「川湊(かわみなと)」のまちとして知られており、復興まちづくりにおいても、こうした歴史や水辺とのつながりを活かした空間整備が進められた。整備にあたっては、河川堤防の整備と水辺のにぎわい創出を一体的に進めるとともに、国・市が一体となり、地域住民との140回を超える対話を重ねながら事業を推進した。その成果は高く評価され、令和4年度には全国の先進的な取り組みを表彰する「かわまち大賞」を受賞、イベント集客数も令和3年度の約7,500人から令和7年度には約1万6,000人と倍以上に増加するなど、中心市街地の新たなにぎわいの創出につながっている。

また、震災後には市民団体や民間事業者による様々な活動が生まれ、地域の魅力発信や交流促進に取り組んできた。復興を契機として形成されたこうしたネットワークは、石巻の新たなまちづくりを支える重要な資源の一つとなっている。

人口減少や少子高齢化が進行する中で、復興によって整備された都市基盤をどのように活用し、持続可能な都市へと発展させていくのか、復興のその先を見据えた新たなステージに立っている。

いしのまき元気いちば・石巻市かわまち交流センターかわべい

市長インタビュー

石巻市長 齋藤正美氏

─ この15年間で石巻市が最も大きく変わった点は何だと思いますか。
最大の変化は、「創造的復興」の理念の下、住まいの再建をはじめ、災害に強いまちづくりを進め、安全・安心な市民生活を支える都市基盤を整備したことです。
震災後、「住まいの再建」を最優先に、新市街地の整備や土地区画整理事業、防災集団移転などを進め、復興公営住宅も4,456戸整備しました。また、「災害に強いまちづくり」を目指し、市民の命を守ることを念頭に、沿岸部では防潮堤や高盛土道路、防災緑地などによる多重防御施設を整備するとともに、市街地では、沿岸部から内陸部への避難路や幹線道路の整備を進めました。
こうした取り組みにより、単に震災前の姿に戻すだけではなく、将来の災害に備え、市民が安全・安心に暮らせる「新しい石巻」の基盤を築くことができたと考えております。

─ 復興の過程で想定以上に難しかった課題はありますか。
復興の過程で最も難しかったのは、一日も早い生活再建を進めながら、同時に、ひとりひとりの思いに丁寧に向き合うことでした。特に、災害危険区域の指定に伴い、多くの市民に移転をお願いすることになり、住宅再建のため、新市街地の整備や防災集団移転などを進めました。新たな土地での生活再建という大きな決断をしていただく中で、住民説明会や個別の対話を重ね、できる限り思いを受け止めながら、事業を前に進めていく必要がありました。
一方で、復興事業で整備した道路や公共施設、復興公営住宅などを、将来にわたり適切に維持管理していくことも大きな課題です。また、移転元地には未利用地も残されており、その利活用を進めながら、維持管理に係る負担を縮減していく必要があります。
こうした復興の経験を踏まえ、ハード面における復興が一定の区切りを迎えた今、整備したまちや施設を次の世代にどのようにつないでいくか、持続可能な自治体経営を考えていくことが重要であると認識しております。

─ 高台移転や区画整理を経て、石巻市の都市構造はどのように変化したのでしょうか。
東日本大震災後、本市では、被災された皆さんの住まいを一日も早く再建することを最優先に取り組みました。災害危険区域の指定などにより、多くの方が移転を余儀なくされる中、6ヵ所の新市街地を整備するとともに、郊外への移転も選択可能な再建支援事業を行うなど、様々な再建の選択肢を用意しました。
その結果、居住エリアが内陸側や郊外へ広がるなど、都市構造にも変化が生じました。
一方、人口減少の中で市街地が広がったことで、低未利用地の顕在化や都市機能の低下、インフラ施設の維持管理など、新たな課題も見えてきました。こうした経験を踏まえ、今後は人口規模を見据えた持続可能な都市づくりを進めてまいります。

─ 今後の石巻市において、復興の経験をどのように活かしていきたいと考えていますか。
2025年度は、新市施行20周年を迎え、国の第2期復興・創生期間も終了する、大きな節目の年でした。私たちは、震災復興の歩みに一つの区切りをつけ、新たなまちづくりへと、歩みを進めてまいります。そこで、復興事業で整備した都市基盤や、石巻港を中心とする産業基盤を、新たな産業や企業の成長を生み出す力として活かしていきたいと考えています。水産・食品分野の強みを活かしたフードテックや、AI・GX(グリーン・トランスフォーメーション)などの成長分野にも挑戦してまいります。
そして、そこから生まれる仕事や活力を、若い世代が「石巻で暮らし、ここで未来を描きたい」と思えるまちづくりにつなげてまいります。震災を乗り越える中で築いてきたものを、これからの石巻の希望と力に変え、次の世代へしっかりとつないでまいります。

─ 全国の被災地や地方都市に伝えたい石巻市の経験はありますか。
東日本大震災で、石巻市は本当に大きな困難に直面しました。その中でも復興の歩みを進めることができたのは、市民の皆様をはじめ、全国、そして世界中の多くの方々に支えていただいたからこそだと、深く感謝申し上げます。
震災から15年が経過し、まちの姿は大きく変わりました。一方で、心のケアやコミュニティの再構築など、今なお向き合っている課題もあります。
振り返れば、私たちは震災を通じて、これから多くの自治体が直面するかもしれない課題についても、先に経験し、向き合ってきました。私たちは今も学び続けていますが、そこで得た経験をお伝えしていくことが、これまでいただいたご支援への恩返しにもなると思っています。
現在の取り組みの一つが、宮城・岩手両県の港湾を有する6市で構成し、私が会長を務める「防災拠点港湾協議会」※の活動です。東日本大震災の教訓を基に、港湾を活用した災害への備えや復旧活動について、南海トラフ巨大地震などの被害が想定される全国の自治体へ情報発信しています。2025年10月には、東京都内で震災の教訓を伝える報告会を開催し、四国港湾協議会へ提言書をお渡ししました。今後も、こうした取り組みを通じて、震災の経験と教訓を広く発信してまいります。
最後になりますが、ぜひ一度、石巻にお越しいただき、復興の歩みと、これからの石巻を感じていただければ幸いです。

※防災拠点港湾協議会2024年2月発足構成6市:石巻市、塩竃市、久慈市、宮古市、釜石市、大船渡市

おわりに

東日本大震災から15年。石巻市では、この間に住宅再建やインフラ整備、高台移転、防災施設の整備など、全国的にみても大規模な復興事業が進められてきた。かつて震災・津波によって大きく姿を変えたまちは、新たな都市基盤のもとで着実に再生を遂げ、さらなる発展に向けて歩みを進めている。

震災を経験した世代が少しずつ減少していく中で、震災の記憶を風化させることなく、得られた教訓を継承し、防災・減災の意識を次世代へつないでいくことも重要な使命となるだろう。石巻市の歩みは、全国の被災地だけでなく、人口減少や地域活力の維持に向き合う多くの地方都市にとっても、多くの示唆を与えているのではないだろうか。震災からの復興を経て、新たなまちの姿を描き始めた石巻市。

その歩みがどのように未来へと続いていくのか、これからも注目していきたい。(上原知也)

この記事/執筆者へのお問い合わせ