長谷工グループでは、これまで主に賃貸マンションで実証導入してきたICT(Information and Communication Technology)サービスを既存分譲マンションに初めて導入しました。その先駆的な事例について、長谷工アネシスの野口裕矢さんにお話を伺いました。
ICTサービスとは? 長谷工グループの取り組み
――長谷工グループではICTサービスについて開発、導入に取り組んでいます。ICTとはどんなサービスでしょうか?
野口裕矢さん(以下、野口):ICTサービスは暮らしの利便性を向上させるアイテムやサービス全般を指しています。必ずしもデジタル技術であるとは限りませんが、現在、実用化されているものはデジタル関連のものが多くあります。
具体的には、顔認証システムやスマートフォンアプリを通じた各種サービス、センサーを活用した情報提供など、幅広く普及が始まっています。
長谷工グループではICT技術を活用し、暮らしの利便性向上を目指していて、センサーやデバイスから得られるデータを活用して、より良いマンションづくりに活かしていくこと、居住者の生活の質と資産価値の向上を図ることなどを「LIM(Living Information Modeling)」(※)という考え方に集約しており、企業活動の基盤に据えてさまざまなことに取り組んでいます。
(※)LIM……マンションに設置されたセンサーなどから収集される"暮らしのあらゆる情報"を活用し、安心・安全に暮らすためのサービスを提供する長谷工独自のシステム
――ICTサービスの目的は何でしょうか?
野口:主な目的は、マンション居住者の生活の質を向上させることです。日常生活をより便利で快適にすることはもちろん、安全性や防災面での機能強化も図っています。
同時に、マンションの資産価値を高めることも重要な狙いです。ICTサービスを導入することで、築年数が経過しても最新の設備やサービスが整った魅力的なマンションとしてマーケットに認識されることを目指しています。
▲長谷工アネシス 価値創生部門 ICT活用推進部 野口裕矢さん。*所属先・肩書きは取材当時のもの
既存分譲マンションへ初めてのICTサービスを導入
――今回ICTサービスを導入した「サウスオールシティ」について教えてください。
野口:サウスオールシティは、大阪府堺市にある大規模マンションで、総戸数791戸、2010年に竣工してから10年以上が経過しています。これまで長谷工のICTサービスは主に自社で開発する新築賃貸マンションを対象に導入してきましたが、サウスオールシティで初めて既存の分譲マンションに導入することになりました。
――サウスオールシティには、どんなサービスが導入されたのでしょうか?
野口:まず、顔認証システムです。顔をかざすだけでエントランスを開けることができます。従来のリモコンキーなどが不要になり、より便利になりました。
次に、専用アプリ「まいりむ」です。これはさまざまなサービスを提供するスマートフォンアプリで、このアプリを通じて、多くの情報やサービスにアクセスできます。
従来からあった宅配ボックスには荷物が届いたらアプリに通知が来る機能が追加されました。
混雑度可視化サービスもあります。センサーを活用することで、屋上プール、大浴場、キッズルームの利用状況がリアルタイムで確認できます。アプリ上で3段階の混雑状況が表示されるので、利用のタイミングを計画しやすくなりました。
また、気象情報提供サービスもあります。マンション屋上に観測装置を設置して、敷地内の気象情報を提供します。温度、湿度、風速、雨量などがアプリでリアルタイムに確認できます。
さらに、加速度センサーも設置しました。建物の揺れを検知し、将来の防災や構造強化に活用します。これは、弊社の技術研究所がモニタリングする取り組みとなりますので、すぐに居住者の役に立つサービスではありませんが、長期的にマンションの安全性向上に貢献します。
加えて、大規模修繕工事の情報をデジタル化し、アプリや自宅のテレビ、サイネージで確認できるようにしました。これにより、工事の進捗状況や影響範囲をリアルタイムで把握できるようになり、居住者の利便性が大きく向上しました。
▲3棟791戸からなるサウスオールシティの外観
▲顔認証システム。子どもが通過すると親に通知が行くため子育て世帯に特に好評だそう
▲ICTサービスの中核となる専用スマートフォンアプリ「まいりむ」。宅配ボックス通知や共用施設の混雑度可視化情報が確認できる
▲大規模修繕工事中には工事の状況がリアルタイムで分かる掲示板をエントランスに設置し、「まいりむ」にも配信
▲加えて、工事の情報は家庭内全住戸の地デジ対応テレビに同情報を発信した
導入成功のカギは「大規模修繕のタイミングを活用したこと」
――既存の分譲マンションへの導入には難しい面もあったのではないでしょうか?
野口:はい、合意形成ハードルが高いです。サウスオールシティの場合、大規模修繕工事が控えていたこと、そして管理組合の当時の理事長がマンションの資産価値向上に強い関心を持っていたことが大きな後押しとなりました。
――導入のプロセスはどのようなものでしたか?
野口:まず、修繕工事委員会での協議から始まり、それから月1回のペースで約6ヵ月間、サービスの紹介と詳細の協議を重ねました。
サウスオールシティの場合は大規模修繕工事が控えていることもあって、ここに直接関わる新しいサービスを提供するという切り口で提案しました。工事中は洗濯物の取り扱いや廊下の使用など工事状況によって、入居中の皆様にも対応をしていただくことがあります。
従来は工事状況について印刷した紙を投函したり、貼り出したりするしかありませんでしたが、「まいりむ」によってデジタルで届けられるようになれば、居住者の利便性向上と工事業者の業務効率化の両面にメリットがあることを強調しました。これが、ICTサービス導入への理解を得る上で大きなポイントとなりました。
――セキュリティ面での懸念はなかったのでしょうか?
野口:セキュリティに関する懸念は当然ありました。例えば、キッズルームの映像は人物のシルエットのみを表示するなど、プライバシーへの配慮を徹底しています。これらの点について、住民の方々に丁寧に説明し、理解を得ることができました。
▲キッズルームや大浴場、プールの混雑度を可視化
▲キッズルームは、天井に設置したネットワークカメラが人物をシルエット化して表示。大浴場とプールは混雑度を計測
住民の9割近くが「導入してよかった!」
――導入後、住民の反応はいかがでしたか?
野口:アンケート結果では、利用者の8〜9割の方が便利だと感じ、継続利用を希望しています。特に顔認証システムと宅配ボックス着荷通知サービスが人気です。
家族向けに追加開発した顔認証システムの付加機能が、子どもの見守りに活用していただけていることを確認できたことが嬉しかったです。このシステムでは、子どもがマンションのゲートを顔認証で通過すると、親のスマートフォンに通知が届きます。親は子どもの帰宅状況をリアルタイムで確認できるようになりました。現状、すべての出入り口に顔認証システムが設置されているわけではないのですが、便利だからすべてに設置してほしいといった嬉しい声もいただいています。
また、宅配ボックスの利用がスムーズになり、特に高齢者の方々から好評です。サウスオールシティは大規模なマンションなので、荷物が届いたかどうかを宅配ボックスまで確認しに行くのが煩わしく感じる方もいらっしゃいましたので、アプリで確認できることがとても喜ばれています。
共用施設の利用も、より計画的になりました。大浴場やプールの混雑状況をアプリで確認してから利用する方が増え、効率的な施設利用につながっています。
▲子どもがゲートを通過すると親のスマートフォンに通知される
――課題はありますか?
野口:現在、全791世帯中で約400世帯がアプリでサービスを利用しています。導入から半年ほど経ちましたが利用率はまだ約50%です。より多くの世帯に利用してもらえるよう、使い方を分かりやすい動画にまとめてYouTubeで公開するなど、工夫していますが、さらなる周知と改善が必要です。現在も、長谷工グループの社員がサウスオールシティにうかがって、利用方法の説明やアプリの設定をお手伝いするなどして、利用率の向上を図っています。
また、通信の不具合など、技術的な課題が時に発生します。例えば、顔認証が時々機能しなかったり、宅配ボックスの通知が遅れたりすることがあります。これらの問題の解決も進めて、より便利なものになるよう努力しています。
▲現在もアプリの利用方法の説明や設定をお手伝いするために月1でサウスオールシティへ訪れているそう
ICTサービスでより便利な暮らしをサポートしたい
――今後のICTサービスの展開について、どのようなビジョンをお持ちですか?
野口:今後は以下の3点について、展開の可能性を検討したいと考えています。
まず、専有部(各家庭)へのサービス拡大です。現在は主に共用部向けのサービスが中心ですが、今後は各家庭の中まで踏み込んだICTサービスの提供を検討しています。例えば、スマートホーム機能の統合などが考えられます。家電の自動制御やエネルギー管理など、より快適で効率的な暮らしをサポートするサービスの導入を目指しています。
次に、マンション周辺の商業施設や病院などとの情報連携です。マンションの外の施設とも連携し、より広範囲で使えるサービスの提供を考えています。例えば、近隣の商業施設の混雑状況やセール情報、病院の待ち時間情報などをアプリで確認できるようにすることで、より便利な暮らしをサポートできると考えています。
最後に、今回の事例を基に、他の既存マンションへのICTサービス導入も積極的に進めていきたいと考えています。各マンションの特性や居住者のニーズに合わせて、カスタマイズしたサービスを提供していく予定です。
これらのICTサービスにより、築年数が経過しても最新設備が整った魅力的なマンションとして認識され、マンションの資産価値向上に貢献できると考えています。
ICTサービスを通じて、マンションがより安全で快適な、価値ある住まいになれるように開発を続けていき、将来的には長谷工グループ以外のマンションにも提供していくことを目指しています。
取材・文:小野悠史 撮影:石原麻里絵
WRITER
不動産業界専門紙を経てライターとして活動。「週刊東洋経済」、「AERA」、「週刊文春」などで記事を執筆中。X:@kenpitz
おまけのQ&A
- Q.ICTマンションは将来、どんな風に進化していきますか?
- A.将来的には、複数の近隣マンションの情報が集約され、それぞれが連携する可能性も考えられます。例えば、自動運転車がマンション間を巡回し、居住者や物資の移動を円滑にするシステムが実現するかもしれません。マンション専業の設計・施工会社である長谷工グループならではの視点から、単なる建物の提供を超え、より豊かで便利な暮らしを創造することを目指しています。