『ルポ 秀和幡ヶ谷レジデンス』(毎日新聞出版)が、東京の有名マンションで起きたトラブルを生々しく描き、話題になっている。刊行後は「うちも同じ」と全国から声が寄せられているそう。管理組合の長期政権化は特殊な問題なのか、それとも多くのマンションに共通する構造的な課題なのか。著者である栗田シメイさんに話を聞いた。
各地からの声が示すマンション問題の共通点
──書籍出版後、どのような反響がありましたか?
栗田シメイさん(以下、栗田):本当に驚いているのですが、日本中から「うちのマンションも取材してくれ」という連絡が来ています。弁護士にも相談したけど、何の手の打ちようもないといった深刻なケースも少なくありません。本で取り上げた秀和幡ヶ谷レジデンスでは結果的にうまくいったんですけど、実際には多くのマンショントラブルが“すっきり解決”することは稀です。裁判で勝っても実質的な変化につながらないということも圧倒的に多いんです。
──連絡をくださったマンションに、何か共通点はあるのでしょうか?
栗田:特徴的なのは、いわゆる「ヴィンテージマンション」、つまり築30年以上の物件が多いこと。そして、理事長が長く同じ人物であるケースが目立ちます。10年から30年前後、理事長が交代していないマンションの相談が目立ちます。秀和幡ヶ谷レジデンスでは約25年も理事長が変わっていませんでしたが、そういったマンションも実は珍しくないんですね。
──それ以外に何か特徴は? たとえば地域によって偏りなどありますか?
栗田:特に地域的な偏りは感じませんでした。確かに大阪、福岡、関東近郊の都市部からの反応が多かったですが、それは単純にマンションの数が多いため。地方都市にも同様の課題を抱えるマンションは数多く存在しています。
共通しているのは基本的な問題の根っこは同じところから発生しているということです。
▲栗田シメイ(くりたしめい)さん/ノンフィクションライター・記者。広告代理店勤務、ノンフィクション作家への師事、週刊誌記者などを経て現職。スポーツ、政治、経済、事件、海外情勢など幅広いジャンルを取材。著書『ルポ 秀和幡ヶ谷レジデンス』(毎日新聞出版)はベストセラーになった。note: 栗田シメイ
「裁判すれば解決」は幻想で感情が事態を難航させる
──多くの方が法的手段を実行または検討しているのですね。
栗田:そうですね。トラブルが起きると「裁判しよう」と言う声が必ず出てきます。秀和幡ヶ谷レジデンスの事例でもそうでしたが、訴訟による解決を求める住民は非常に多いと感じます。
でも、裁判は決して万能ではありません。マンションという「共同体」においては、法的に勝敗がついたとしても、その後も同じ建物で暮らし続けていく現実がある。判決で白黒ついても、人間関係がこじれてしまえば、暮らしの質はむしろ悪化してしまう可能性もありますから。
▲白い壁と青い屋根が目を引く、秀和幡ヶ谷レジデンス。以前からヴィンテージマンションとして人気だったのだが……いつしか問題のあるマンションとして有名になっていた
──取材先では、理事長の不正を疑う声も多いそうですね。
栗田:そういった指摘はよく耳にします。「着服しているのではないか」「お金の使い方がおかしい」といった声は、ほとんどのケースで出てきます。
秀和幡ヶ谷レジデンスでも、旧理事会に反対する住民の中で、そうした疑念が語られていました。
ただ、私は本の中であえてその点には踏み込みませんでした。というのも、多くの場合、そうした指摘の真偽は非常に曖昧だからです。長く理事長を続けている方の多くは、むしろ慎重で、明確な不正があればもっと早い段階で交代させられていたはずなんです。トラブルの多くは、人間関係のすれ違いから生じます。そこに感情が加わることで、「相手は悪者だ」と思い込んでしまう。そして、実際には存在しない不正まで疑ってしまう——そうした構図は、全国どこにでも見られる傾向だと感じています。
自主管理は善意が裏目に出ることもある
──なぜ、これほど多くのマンションでトラブルが起こってしまうのでしょうか?
栗田:少し変な言い方かもしれませんが、原因のひとつは「お互いが一生懸命すぎる」ことだと思います。
特に自主管理のマンションでは、「自分たちの力でマンションを正しく運営する」という強い思いがある。本来なら管理会社に任せる部分も、自分たちが担うのは、それだけ信念があることの裏返しです。
ただ、その「正しさ」や「使命感」が、他の住民にとっては住みにくさや資産価値の低下につながることもある。さらに当事者は善意で行動しているからこそ、自分たちのやり方を変えにくい。その結果として、意見の違いや小さな対立が生まれ、やがて大きな摩擦へと発展していくことも少なくないように思います。
▲秀和幡ヶ谷レジデンスの旧理事会では防犯カメラを使って、住民の行動を監視していたとされ、その使い方が問題視された
──秀和幡ヶ谷レジデンスでは、独自のルールが話題になりましたが、一概にすべてが問題だったわけではないそうですね。
栗田:そうなんです。たとえば「防犯カメラが54台もある」という点は、一見すると過剰に思えますが、防犯を強化するという目的から見れば、必ずしも非合理とは言い切れません。問題はカメラの数ではなく、それを使って住民を過度に監視するような運用がなされていた点にあります。
他にも、Uber Eatsの利用禁止や宅配便の時間指定など、一見すると特殊に見えるルールも、適切に運用されていれば大きな問題にはならないことも多いです。実際、他のマンションでも部分的に似たルールを導入しているケースは見られます。
でも、それが表立って問題視されないのは、揉めていないから。秀和幡ヶ谷レジデンスの場合は、住民と理事会の対立が表面化し、互いに譲れない状態になってしまった。それが問題を大きくしてしまったのだと思います。
──長期政権になると、問題が極端になることが多いようです。なぜ、理事の任期が長くなってしまうのでしょうか?
栗田:一番の原因は、住民の「無関心」だと思います。そもそも、誰も理事や理事長をやりたがらないのが実情です。
住民の関心が高まるのは、多くの場合、管理費の値上げや大規模修繕による高額負担など、金銭面の影響が生じたときです。とはいえ、日々の生活の中でマンション運営に継続して関心を持ち続けるのは、誰にとっても簡単なことではありません。
──秀和幡ヶ谷レジデンスでも、最初に動き出したのは一部の住民だったとか。
栗田:もともと住んでいたのは高齢のご夫婦など長く暮らしてきた人たちが多く、今さら大きく変化を求める理由も少なかったのだと思います。資産価値への関心も比較的薄かったように感じます。
一方で、変化を求めて声を上げたのは、外部から購入して入居してきた新しい世代の住民でした。マンション運営の歪みや資産価値の低下に危機感を覚え、「このままではいけない」と立ち上がったのです。
こうした構図は全国でも、ほとんどないと思います。秀和幡ヶ谷レジデンスは立地に恵まれ、築年数が古くても魅力のあるマンションでした。そのため、新しい居住者が一定数いたことが大きいのではないでしょうか。
▲『ルポ 秀和幡ヶ谷レジデンス』は、新宿近くの好立地にありながら、相場より安く取り引きされてきたヴィンテージマンションの内情に迫る。背景には約30年続いた特定理事による独裁的運営と、来客の宿泊料徴収やUber Eatsが禁止など、異例のルールが多数存在していた。住民の反発も封じられ、沈黙が支配する中、新たな住民グループが過半数の委任状獲得に挑む。自治の回復を目指したおよそ4年間の闘いを描く、渾身のルポ
入居前の見極めと問題マンションを回避するポイント
──事前に問題のあるマンションを見抜く方法はありますか?
栗田:まずは、購入前に管理規約を隅々まで丁寧に読むことをおすすめします。内容が長く、読むのは大変ですが、文言に違和感がないか、過剰な表現や不自然なルール設定がないかをチェックしてみてください。「なぜこのルールが必要なのか」「なぜここまで強く記載されているのか」といった視点で見ると、見えてくるものがあります。
あとは「評判」です。私は普段ネットの口コミをあまり重視しない方ですが、マンションに関しては別。実際に暮らしている方の実感が強くにじみ出ていて、真剣度が違います。飲食店や家電のレビューとは違い、投稿数は多くありませんが、「住みにくい」「管理人に問題がある」などの記述が複数あれば、何かしらの問題の兆候と考えてもいいでしょう。
一方で、投稿には真偽が定かでない情報や、特定の人物への誹謗中傷が含まれるケースもあります。あくまで参考のひとつとし、複数の情報を照らし合わせて冷静に判断することも大切です。
──すでに住んでいて問題が発覚した場合はどうすれば良いでしょうか?
栗田:正直、できることは多くありません。それでも、まずは総会に出ることが大事です。
マンション内に親睦会やご近所同士のつながりがあれば、そうした人に声をかけて、少しずつ輪を広げていく。その上で、総会の場で意見を述べ、どのような反応があるかを見る。そこからしかなかなか動き出せません。
現実的には、「総会で粘る」か「売却して離れる」の二択になってしまうのが実情のようです。
問題を深刻化させるのは「2つの老い」
──マンションが抱えるトラブルには、「建物の老朽化」と「住民の高齢化」、いわゆる“2つの老い”も関係しているのでしょうか?
栗田:取材を通じて、建物と管理組合の「2つの老い」には強い関連性を感じます。誰にでもある変化ではありますが、年齢を重ねることで価値観が固定化し、対話が成り立ちにくくなる人もいます。そうした方が理事長を長く務めていたり、理事会の構成員が高齢化していると、マンション運営の柔軟性が失われてしまうことがあります。
さらに、そこに住民の無関心が加わることで、問題は一層深刻化します。住民間の話し合いだけでは解決が難しい局面が増えてくるのではないでしょうか。
そうなると、当事者同士の話し合いでは限界があります。区分所有者(住民)ではなく、外部の専門家を理事長として招き、マンション管理を委ねる制度「外部管理者方式(第三者管理方式)」への切り替えなど、抜本的な対応が必要だと思います。
──かつての秀和幡ヶ谷レジデンスのような状態に陥らないためにマンション居住者は何をすべきでしょうか。
何度もお伝えしていますが、秀和幡ヶ谷レジデンスのような事例は珍しくありません。問題はどのマンションにも潜んでいます。そうした「静かな危機」に気づくためにも、管理規約を読むこと、総会に参加することが大切です。それが自分の資産と暮らしを守る第一歩です。「当事者意識を持つこと」。それが最も現実的で有効な対策だと思います。
▲外部管理者(第三者管理)方式は、「自主管理型」や「輪番制」のように、従来のように住民が持ち回りで理事長や理事を務める方式とは異なり、外部の利害関係のない専門家が中立的に管理・運営を担う。高齢化による人材不足を背景に、導入するマンションが少しずつ増えているそう
取材・文:小野悠史 撮影:三村健二
WRITER
不動産業界専門紙を経てライターとして活動。「週刊東洋経済」、「AERA」、「週刊文春」などで記事を執筆中。X:@kenpitz
おまけのQ&A
- Q.マンション問題の取材は大変でしたか?
- A.栗田:これまでスポーツや政治、組織犯罪などさまざまな分野を取材してきましたが、マンション問題の取材が最もエネルギーを要したかもしれません。住民の思いが強い分、「いかに自分が大変か」を語る熱量も高く、一度の取材が6時間に及ぶことも。感情が入り混じる分、事実と思い込みの線引きも難しく、裏取りにも苦労しました。
理事長は「ひとごと」ではない。経験者が語るタワマン管理のリアル