作家やミュージシャンなど多彩な顔を持つ、いとうせいこうさんは、自宅マンションのベランダで植物栽培を楽しむ人を「ベランダー」と名付け、植物と共生するライフスタイルを提案してきました。しかし近年の気候変動により、その楽しみ方も大きく変化しているといいます。今回、現代のマンション生活にふさわしい植物との新たな付き合い方についてお話を伺いました。
気候変動で変わる、マンションの園芸事情とは?
――いとうさんはベランダでの植物栽培として「ベランダー」を称されていましたが、現在の状況はいかがですか?
いとうせいこう(以下、いとう):気候変動の影響で、植物栽培の方法も変わりました。私が最初に書いた植物に関する本『ボタニカル・ライフ―植物生活―』(新潮文庫)の頃は、ベランダで園芸を楽しむから「ベランダー」と称していたんですけど、温暖化が進むにつれて、ベランダに置ける植物と置けない植物が大きく変わってきたんです。
――具体的にはどのような変化が?
いとう:熱帯原産のような、暑さに強い植物がどんどん増えてきた。そうじゃない植物は、もう本当に枯れちゃうんです。去年なんて、アサガオが9月になってからようやく咲いた。しかも、花がすごく小さかったんですよ!アサガオなんて小学生の教材になるくらい、どんな環境でも強く、育てやすい植物ですよね。そのアサガオをもってして、もう夏の暑さ、日差しには耐えられなくなってしまっているんです。
――そんなに過酷な変化が起きているんですね…。
いとう:だから、マンションを選ぶ際も、これまではベランダの日当たりが良くて、できれば一日中日が当たるような物件を好んでいました。しかし、今では半日くらい陰になる方角の方がちょうど良いのではないかと思っています。実際、今住んでいるマンションも、日差しが上からしか入らない部屋を選びました。これからもっと暑さが厳しくなるので、ビカビカに日が差し込む部屋は植物にとって、もっと厳しくなるでしょうね。
ルーフバルコニーなんて一時は憧れましたが、今ではもう暑すぎて、人間にとっても過酷で水やりすらできない状況になっていてもおかしくないですね。実際、以前そのような部屋を借りていたことがありますが、植物がどんどん枯れていってしまいました。陰が一切ないので、本当に厳しい環境になってしまいます。
▲いとうせいこうさん/作家、クリエーター。小説、エッセイ、詩、戯曲、評論、翻訳など、幅広い分野で活動。ベランダでの植物栽培を「ベランダー」と名付け、都市生活における緑との付き合い方を提唱。著書に『ボタニカル・ライフー植物生活ー』(新潮文庫)など。X:いとうせいこう
限られた空間でも楽しめる「ハンギング」のすすめ
――そうなると室内での栽培に移行されているんですか?
いとう:そうですね。最近は室内でどこまで植物栽培ができるかを考えるようになりました。ベランダで育てる「ベランダー」に対して、自分のことを「ルーマー(室内園芸家)」と呼んでいるほどです。そこで、注目しているのが「ハンギング」という育て方です。
――ハンギングとはどのような方法でしょうか?
いとう:植物を天井から吊るして育てる方法です。最近の花屋さんを見ても、ハンギング用の植物がすごく多くなっている。
僕自身も中古マンションを購入した際に、内装リフォームのデザイナーと相談し、天井に植物を吊るすためのレールを設置しました。今は、そこに観葉植物などを吊るして楽しんでいます。
▲いとうさんの自宅天井にはレールがあり、ハンギングされた植物がずらり
――都内で供給される新築マンションの平均面積は66.67㎡(※)まで小さくなっていますから、ハンギングによって床に置かないメリットは大きそうですね。
いとう:そうですね。植物の置き場所というのはベランダーやルーマーにとって非常に悩ましい課題です。マンションの限られたスペースには家具や荷物なども置かれていますし、植物に適した環境の確保は簡単ではありません。
僕も妻から「これ以上鉢を置かないで」と言われています。洗濯物を乾かす場所として取ってあるから、少しでも鉢が出てくると「なんかずらしてるね」ってすぐバレる(笑)。洗濯物に土が舞っちゃ困るでしょうから、すごすごと引き下がりましたけどもね。
しかし、ハンギングプランターを使えば、植物のスペースを確保することができます。これまでは、植物と人間がスペースを譲り合うのが難しかったんだけど、ハンギングによって、僕らが使えない空間を明け渡して、うまく共存できるようになって気分もいいですよね。
※参考:不動産・住宅情報サービス「LIFULL HOME'S」調べ
「東京23区の新築マンションの平均価格」2025
▲ハンギングにも慣れたもので、以前は梯子に上って水やりをしていたが、今では天井から吊っている状態の植物にも下からジョウロの先を差し込む方法で上手に水やりができるようになったという
マンション暮らしに適した新しい栽培スタイル
――マンション室内での栽培となると、土の扱いも気になりますね。
いとう:その通りです。室内だと土が飛び散ったりして扱いが難しいですよね。大抵は土の上に植物を置くじゃないですか。でも、水やりの仕方が難しくなるし、部屋の中だと風や扇風機、クーラーなんかで土が散ったりしますよね。そこで最近は土ではなく、ウッドチップなど別素材で育てられる植物が注目されています。多肉植物(※)や熱帯性の植物、琉球アサガオ、ブーゲンビリア、コウモリランなどですね。で、結局は、ほぼ天井や壁に吊るして育てる形が一番楽ということになっちゃうんです。
※茎や葉に水分を蓄えることができる乾燥に強い植物
――水やりの手間も大変そうですが、何か工夫は?
いとう:ハンギング系になると、高いところにあるので水やりがちょっと大変です。でも、僕はすっかり慣れたのでノールックでできるようになりましたね。
また、ベランダの植物の水やりには、自動灌水器も取り入れています。ネット通販で2、3千円で手に入り、小型のソーラーパネルで稼働します。バケツの中に水を入れておけば自動で灌水してくれるんですよ。このところ、太陽の暑さにやられていたわけだけど、今度はその分だけ太陽を利用してやるぞっていう感覚です。
――意外な栽培アイデアもお持ちだとか?
いとう:田んぼですね。稲はめちゃめちゃ日光に強いんですよ。水を張った田んぼなんて、真夏になるとほとんど熱湯みたいな高温になりますが、それでもしっかりと育ちます。だから、本当はみんながベランダでお米を育てるべきです。ルーフバルコニーで暑くてたまらない、なんて言っている人は、もう田んぼを作った方がいいですよ。
僕は、1メートル×1メートル半くらいのスペースで育てたことがありますが、春頃には青々と成長してくると、まるで芝生のように鮮やかで見ているだけで気持ちが良いんです。それから、だんだん穂が出てくる過程でトンボなどの虫が訪れるなど、自然を身近に感じられる素敵な体験でした。暑さで悩んでいるルーフバルコニーなどには特に適しているんじゃないかな。
▲気候が熱帯化しているせいか、最近街の花屋さんには熱帯地域の植物が並んでいることも珍しくないそう。こちらは、ビカクシダ(コウモリラン)
▲植物を育てる過程での失敗を恐れないことも大切だといとうさん。「植物を育てるのが上手な人を『グリーンサム』と呼びますが、僕の場合は枯らしてしまうことも多いので『ブラウンサム』ですね(笑)。でも、うまくいかないことも含めて植物育成のおもしろさだと感じています」
植物がつなぐ、マンションコミュニティ形成
――植物を通じてご近所との交流もありましたか?
いとう:昔、浅草に住んでいた頃はありましたね。植物栽培に詳しい近所の人がいて、「この時期だが、あれは植えたのか?」って感じで、お祭りが終わったら「アサガオの種を蒔くんだよ」とか、大きな声で言ってくるんですよ。それに対して、「あ、分かりました」とか返事してね。
――どんな情報交換をされるんですか?
いとう:たとえば、新しい植物を買った時にどうやって育てるとうまく育つかという情報交換みたいなことはありますよね。
そういうことを詳しくない方に聞かれるのは全然嫌じゃないです。でも、僕も答えられないことが多いです。実際、かなり枯らしてしまうタイプの人間なので(笑)。それでも、実際に育てたことがあれば、「こういう失敗をしましたよ」とかは話せますね。
これからやってみようという人は、失敗するのが当たり前だと思います。僕も30年以上やっているのに、まだ半分以上は枯らしてしまうんですよね。だから、失敗を恐れずに挑戦してほしいですね。
――世代や性別を超えた交流になりそうですね。
いとう:そうそう。普通話さない年代の人とか性別の人とか、そういう人たちとの情報交換があるから、そこがすごく楽しいよね。マンションとかいろんな人が住んでいるから交流できれば、もっと発見が多くなると思います。
――ただ、マンションだとお互いの植物が見えにくいのが残念ですね。
いとう:それがちょっと残念だなと思います。本当はお互いに見る機会があればいいのにね。
花を咲かせる人って、基本的にはその花を見せたいんです。それは見せたいというよりも、分けたいという気持ちですね。「こんなに楽しいものが今咲いているんだから、他の人にも見てもらいたい」とね。それが植物を育てる楽しさの一つでもあるし、そういう気持ちを共有できる機会が増えれば、マンションコミュニティもより豊かになると思います。
▲都市生活においても緑陰の重要性を強調し、今やそれが命の問題だと語る
植物の力でマンションの資産価値を高める
――最近は都心の開発で大きな木を切ったりして、周辺住民から反対の声が上がりニュースになることも増えました。自然との付き合い方は都市部でも大きな関心事項になっています。
いとう:都市においては緑は絶対に必要です。特に日陰を作ることで暑さを和らげる効果がありますから、命にも関わる重要な問題だと思います。毎日のように37度や38度を超えるような状況では、緑があるかないかは大きな違いを生むと思います。
――緑のある生活という点から、マンションに期待することはありますか。
いとう:やっぱり田んぼ付きマンションですね。大きな敷地があれば、その一部を田んぼにしてしまえばいいんです。水やりもそれほど手間ではありませんし、トンボなどの生き物が訪れ、自然を楽しむことができます。マンション開発会社にとっても、新しいメッセージになるでしょうし、今なら十分に実現可能だと思います。
取材・文:小野悠史 撮影:宗野歩 ヘア&メイク:小室あい スタイリスト:中谷東一
WRITER
不動産業界専門紙を経てライターとして活動。「週刊東洋経済」、「AERA」、「週刊文春」などで記事を執筆中。X:@kenpitz
おまけのQ&A
- Q.最近、フェイクグリーンの活用が注目されていますが、いとうさんはどのように考えていますか?
- A.いとう:フェイクグリーンは非常におもしろいと思っています。技術が進化して、遠目から見るとほとんど本物と見分けがつかないものも増えてきました。たとえば少し折れた部分や虫に食われた跡などがリアルに再現されていて、「うまいことするな」と感心してしまうんです。少しの不完全さがあることで味わいが生まれるのかもしれない。じつは、本物の植物と同じ種類のフェイクグリーンを隣に置いて、どちらがより愛着を感じられるか試してみたんです。でも、やっぱり本物の植物のようにはフェイクグリーンは愛せないんですよね(笑)。
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