コンパクトシティはなぜ失敗・長期化する? 富山の成功例と10年の「社会実験」が出した答え

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人口減少時代における都市政策の処方箋として、各地で掲げられてきた「コンパクトシティ」。郊外へ広がった市街地を見直し、公共交通や生活機能を中心部に集めることで、持続可能な都市をつくる――。その理屈は分かりやすい一方で、現実の都市は思うようには縮んでいません。じつは、人口減少と世帯数減少には大きな時間差があり、都市の未来を読み解く鍵になりそうです。都市計画・まちづくりを専門とする、東京都立大学教授の饗庭伸さんに聞きました。

――「コンパクトシティ」という言葉は聞いたことがあっても、詳しくは分からないという読者も多いと思います。どのように生まれた考え方なのでしょうか。

 

饗庭伸さん(以下、饗庭):コンパクトシティという言葉の出発点は、アメリカの数理科学者、G・B・ダンツィクとT・L・サアティが1973年に書いた『コンパクトシティ』という本です。彼らは都市計画の専門家というより、オペレーションズ・リサーチ(数学やコンピュータを使って、社会や組織を効率よく運営する方法を研究する学問)のような、数理的なシステムを研究していた学者でした。

 

当時も今も、世界的に人口が増え、都市が拡大していくことは大きな問題です。そこで、どうすれば効率よく、快適に暮らせる都市をつくれるのか。その提案として出てきたのが、最初のコンパクトシティでした。

 

ただし、現在の日本で語られるコンパクトシティとは、かなりイメージが異なります。彼らの言うコンパクトシティは直径5キロメートルほどの巨大な円形の床を山のように積み上げ、そこに人が暮らし、交通で結ばれる。いわば未来都市のような構想でした。

 

当時は日本でも「メタボリズム」という前衛的な建築ムーブメントがありました。都市の新陳代謝に注目し、理想的な都市のあり方を考える建築運動です。菊竹清訓さんの海上都市構想や、黒川紀章さんのカプセル建築などが代表的ですね。

 

つまりコンパクトシティは、最初から現在のような「人口減少時代の都市政策」として生まれた言葉ではありません。都市が拡大していく時代の、未来都市像として提示されたものだったのです。

饗庭伸プロフィール

▲饗庭伸(あいば・しん)。東京都立大学都市環境学部都市政策科学科教授。1971年生まれ。専門は都市計画・まちづくり。人口減少時代における都市のあり方を「スポンジ化」の概念で論じた『都市をたたむ』などの著書で知られる。※所属先・肩書きは取材当時のもの

――その未来都市のような構想が、なぜ日本の政策として語られるようになったのでしょうか。

 

饗庭:コンパクトシティという言葉が、日本国内における政策の文脈で復活してくるのは、2005年ごろです。背景には、大きく二つの課題がありました。

 

ひとつは環境問題です。市街地が郊外へ広がると、自家用車に頼った暮らしになります。車で移動することを前提に住宅や商業施設が広がっていくと、環境負荷も大きくなる。そこで、都市をなるべくぎゅっとまとめ、車に頼らなくても暮らせる形にしようという議論が出てきました。

 

もうひとつは、地方都市の中心部が空洞化してきたことです。1990年代の終わりごろから郊外化が進み、中心市街地の衰退が大きな課題になっていました。空洞化した中心部をもう一度立て直そうという流れと、環境問題への対応が重なったところに、コンパクトシティという言葉が入ってきたのです。

 

 

――時代にマッチした言葉として浮上してきたのですね。

 

饗庭:さらに同じ時期に、日本では人口減少もはっきり見えてきました。人口が減れば、広がりすぎた都市をそのまま維持するのは難しくなる。都市をもう一度組み替える必要がある、という議論になっていきます。

 

それが制度として形になったのが、2014年に創設された「立地適正化計画」です。居住や都市機能を一定のエリアに誘導する、いわば都市をぎゅっとするための計画制度です。国の補助金の仕組みもそうした方向に変わり、全国の自治体がコンパクトシティを掲げるようになっていきました。

 

 

――具体的には、どのように都市を縮めていくのでしょうか。

 

饗庭:ダイエットにたとえると、まずは広がりすぎた市街地の脂肪を落とす、ということです。だらだらと広がった街を、拠点に向かって少しずつ小さくしていく。ただ、無理に小さくしてもリバウンドしたら意味がありません。都市が太る大きな要因は自家用車です。車があれば、不便な場所に家が建っても住めてしまう。すると住宅はさらに郊外へ広がっていきます。

 

そこで、日常生活に必要なものを歩いて暮らせる範囲に集め、遠くへ行くときは公共交通で移動できるようにする。自動車中心の暮らしから、公共交通と徒歩を中心にした暮らしへ切り替えていく。それが日本のコンパクトシティの基本的な考え方です。

「コンパクトシティは環境問題や都市再生の文脈から復活してきた」と饗庭さんは語る

▲「コンパクトシティは環境問題や都市再生の文脈から復活してきた」と饗庭さんは語る

――コンパクトシティの代表例としては、富山市の名前がよく挙がります。

 

饗庭:富山は非常に分かりやすい例です。もともとあった路面電車に再投資して再生し、新幹線の駅ともつなげました。駅前で公共交通に乗り換えやすくし、その便利な場所の周辺に住んでもらう算段です。そういう都市政策を進めていきました。

 

僕の記憶では、都市計画の現場でコンパクトシティという言葉が広く使われ始めたのは1990年代後半で、神戸市が比較的早い時期に掲げていました。その後、青森市や富山市が取り組みを進め、特に富山市は公共交通への投資と居住誘導を組み合わせたことで代表的な成功事例として知られるようになりました。

 

 

――富山では、実際に成果は出ているのでしょうか。

 

饗庭:成果は出ていると思います。路面電車の沿線には実際に新しいマンションが建っています。この20年ほどの間に、沿線で住宅開発が進んできました。若い世帯や、便利さを重視する高齢者世帯が住んでいるのでしょう。公共交通に投資して便利な場所をつくることで、民間の開発もついてきた。そこが富山の大きな成果だと思います。

富山のライトレール

▲富山のライトレール

――つまり都市政策は、どこにマンションが建ち、住宅需要が集まるかにも影響しているのですね。

 

饗庭:はい、少なからず影響しています。公共交通へ投資すると、その周辺の利便性が高まり、民間デベロッパーも住宅を供給しやすくなりますからね。

 

 

――先生ご自身は、コンパクトシティをどのように評価されていますか。

 

饗庭:理屈としては正しいと思います。ただ、都市計画は理屈だけで進めようとすると、みんながついてこられないんです。日本中の土地を行政が持っているわけではありません。土地を持っている人や、開発を担うデベロッパーが「そうだよね」と乗ってこないと、日本の都市計画は実現しません。無理な目標を立てると、計画はつくったけれど誰もその通りにやらない、ということになってしまいます。

 

そもそも土地は私有財産です。一度家を買えば、そこから何十年も動かない人も多くいます。たとえば35年ローンで郊外の庭付き一戸建てを買った人が、「コンパクトシティが大事です」と言われただけで、急に都心のマンションに住み替えるでしょうか。ですから大事なのは、コンパクトシティの理屈を、現実の暮らしにどう合わせていくかだと思います。

 

 

――ただ、大きな流れとして、コンパクトシティに向かうこと自体には必然性がありそうです。

 

饗庭:必然性はあります。ただし、人の暮らしを置き去りにしてはいけないということです。

 

たとえば各地区に小さな図書館があるとして、「コンパクトシティだから中心部に大きな図書館を一つつくればいい」と考えたとします。

 

でも、そこに住んでいる人たちは、図書館のためだけにすぐ引っ越すわけがありません。引っ越すのはその人が年をとったときかもしれませんし、相続を受けた子供たちがその判断をするかもしれません。10年後、20年後、もしかしたら30年後かもしれません。

 

そうなると、その人たちのこれから30年間の便益はどうなるのか、という話になります。都市計画は、やはり人のためにならなければいけない。人々の暮らしにとって本当にプラスになるのかという視点で考える必要があると思います。

 

 

――実際にコンパクトシティは口で言うほど簡単ではないですね。

 

饗庭:立地適正化計画は、2014年にできた制度です。国土交通省もかなり力を入れて、全国の自治体に「計画をつくりましょう」と呼びかけました。結果として、全国に約1700ある市町村のうち、約970の自治体が取り組みを行っていると認識しています。

 

この計画では、病院や図書館、市役所などを集める「都市機能誘導区域」と、人に住んでもらう「居住誘導区域」を決めます。本来は、都市機能も居住地もなるべく絞り、街をコンパクトにしていくという考え方でした。

 

しかし、実際に計画をつくるのは市町村です。地域住民に対して「あなたの家は、今日から居住誘導区域ではありません」とは、なかなか言えませんよね。その結果、多くの計画は、もともとの市街地から災害リスクの高い場所を少し外す程度にとどまってしまい、ほとんど絞れていないのが現状です。

 

 

――制度ができてから、10年以上が経ちました。

 

饗庭:10年かけて壮大な社会実験をやってみて、出した結論は「そんなに小さくならない」ということでした。そう判断していいと思っています。しかし、コンパクトシティを目指すことが間違っていたわけではありません。ただ、制度や計画で都市を小さくする時間の感覚が少しずれていた、現場と共有できていなかったのだろうと思います。

コンパクトシティに関する政策を「10年の壮大な社会実験」と振り返る饗庭さん

▲コンパクトシティに関する政策を「10年の壮大な社会実験」と振り返る饗庭さん

――日本全体でどんどん人口が減っているのに、都市はそう簡単には縮小しないというのも意外です。このまま広がったままでいいのでしょうか。少し不安になります。

 

饗庭:人口の話は曲者(くせもの)です。まず人口が減っても、それですぐに都市が小さくなるわけではありません。都市が縮小するというのは、住宅が減り、市街地の面積が小さくなるということです。でもそれは、人口ではなく世帯数が減らないと起きません。

 

たとえば、一つの世帯が一軒の家を持つと考えると分かりやすいと思います。私も以前は、妻と子ども3人の、5人家族で住んでいましたが、独立した子どもたち3人は、今はそれぞれで暮らしています。もともと1世帯だった家族が、今は4世帯に分かれたわけです。

 

つまり、人口は増えていないのに、世帯数は増えている。このように人口増減のタイミングと、世帯数増減のタイミングは、かなりずれるのです。都市の縮小は、世帯数が減った後に起きます。ですから正確には、人口だけでなく世帯数も見なければいけません。

 

 

――世帯数が重要とは、確かにそうですね。

 

饗庭:日本の人口減少が始まったのは2008年ごろ。では、世帯数はいつから減っているのかというと、じつはまだ減っていないばかりか、日本全体の世帯数は今も増えています。

 

以前、国の機関による推計では世帯数の減少が始まるのは「2024年」と書かれていました。ところが実際には2024年になっても減らず、いつのまにかこっそりと「2030年」と書き換えられています。人口減少の始まった2008年と、世帯数が減るであろう2030年では、20年以上の時間差があります。だから、「人口が減って、都市が縮小している」という現象は、全国的にはまだそれほど起きていないはずです。

 

 

――人口は減っているのに、住宅は減っていない、地域によってはさらに増えている可能性もあるかもしれませんね。

 

饗庭:そうです。人口が減っていて本当に需要がないのなら、地価が上がり続けるはずがありません。「それは外国人が買っているからだ」という話もありますが、より根本的には日本の世帯数がまだ増えているからなんです。

 

そう考えると、コンパクトシティは少し早かったのかもしれません。世帯数の減少がまだ本格化していないので、「この街はもうボロボロだ」、「空き家だらけだ」という状況は、全国的にはまだそこまで起きていません。都市の縮小は、じつはこれからです。

 

 

――インタビューを通して、都市政策や人口・世帯数といったことは、マンション選びとも無関係ではないことが分かりました。

 

饗庭:はい、都市政策は一見すると行政の話ですが、日々の暮らしや住みやすさにも密接に関わる話です。街の将来像に思いを巡らせることが、これからはより重要になるでしょう。

饗庭さんは「都市計画は人のためにならなければいけない」と語る

▲饗庭さんは「都市計画は人のためにならなければいけない」と語る

※コンパクトシティの後編記事(リンクは記事公開後から有効になります)は、2026年8月20日(木)に公開予定です。人口減少に伴う「余白」を活かす、これからの街のあり方について饗庭先生に伺います。

 

 

取材・文:小野悠史 撮影:宗野歩

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WRITER

小野 悠史
不動産業界専門紙を経てライターとして活動。「週刊東洋経済」、「AERA」、「週刊文春」などで記事を執筆中。X:@kenpitz

おまけのQ&A

Q.日本の都市は、なぜ広がっていくのでしょうか。
A.饗庭:制度や文化など、いろいろな要素がありますが、そのうちのひとつには、日本はどこでも住めてしまうという条件があります。日本は水が豊かな国で、山際でも郊外でも、道路を通して水道を引けば暮らせてしまいます。たとえば、ドイツの都市が比較的コンパクトなのは、都市計画だけでなく、水を得られる場所が限られていたという自然条件も関係していると思います。日本はその点、住める場所の自由度が高い。そこに自家用車が加わると、多少不便な場所でも生活できてしまいます。だから日本における都市の拡散は、単に計画が甘かったという話ではありません。水があり、土地があり、車がある。その条件の中で、都市が外へ広がっていったのだと思います。