コンパクトシティをテーマにする本稿。前編では、人口が減っても世帯数はすぐには減らず、都市の縮小はこれから始まるという話を伺いました。その先に起こるのが、世帯数の減少に伴って空き家や空き地が少しずつ増えていく、都市の「スポンジ化」です。東京都立大学教授の饗庭伸さんは、空き家率10%台は決して悪いことではなく、新しい可能性を生み出す「余白」であり、マンションは循環する資産になると語ります。縮小を前提にしながら、街をおもしろく使い直すための視点を聞きました。
空き家率10%台は、むしろ健全
――前編では「都市の縮小はこれから」というお話がありました。一方で、最新の住宅・土地統計調査(総務省)によれば、全国の空き家率は13.8%、空き家の数は約900万戸に上るとされ、「空き家が増えている」といった報道もよく目にします。実態はどうなのでしょうか。
饗庭伸さん(以下、饗庭):私は東京都八王子市や日野市、多摩市の空き家の政策を手伝うことがあるのですが、実際に街を歩いてみると、空き家は思ったほど多くありません。なぜかというと、統計上は空き家として数えられていても、その家がずっと空き家のまま放置されているとは限らないからです。
日野市では、ある時点ごとの空き家の地図を見比べて調査しています。すると、ある時点で空き家だった家に、5年後には人が入っていることがあります。その一方で、別の場所に新しい空き家が出てきます。つまり、空き家は固定された存在ではなく、新陳代謝があるということ。ある街をある時点で切り取ったら、空き家率が10%程度だった。そういう見方もできると思います。
――そう聞くと、空き家という言葉から受けるイメージが変わってきますね。空き家率10%台というのは、深刻な状態ではないのかもしれません。
饗庭:健全だと思います。人間でも、体脂肪率を無理に0%に近づけたら、かえって体を壊してしまいますよね。都市も同じで、ある程度の余裕がある状態のほうが、むしろ自然かもしれません。
空き家率10%というのは、10軒に1軒、少し雑草が伸びている家があるくらいの感覚です。そこまで深刻な話はあまり聞きません。これが50%になれば、街のあちこちで空き家が目立ち、危ないという状態になるでしょう。しかし、10%程度であれば、必要な都市の余白として捉えてもいいのではないかと私は考えます。
逆に空き家を減らしすぎると、今度は(引っ越す先の)住宅が見つからない街になります。ヨーロッパの都市では家が足らず、半年間友人の家に居候して、ようやくアパートを見つけたという話もあります。それも決して良い状態ではありません。
日本では、不動産屋に行けば物件情報が並んでいて、住む場所がまったく見つからないという人は少ないでしょう。そう考えると、今ぐらいが意外とちょうどいいのではないか。少し常識をひっくり返すような言い方かもしれませんが、私はそう見ています。
――ただ、全国の空き家率は「過去最高」ともいわれ、社会問題化しています。
饗庭:最新の調査では、全国の空き家率は13.8%です。ただ、その前の調査では13.6%でした。5年間で0.2ポイントしか増えていません。1000軒の街で、空き家が2軒増えるかどうかという程度です。毎日同じ道を歩いていても、「この5年で空き家が増えた」と実感するほどの変化ではないと思います。
空き家率が大きく上がったのは、じつはバブル崩壊後です。バブル前は9%台だったものが、1990年代後半に10%台に乗り、その後、少しずつ上がってきました。ただ、今はもう上げ止まりに近いのではないかと見ています。
都市が成熟したときの住宅市場では、空き家率が13%台になる。そういうものとして見ておいたほうがいいのではないでしょうか。これを無理に5%まで戻そう、といった議論はあまり意味がないと思います。
▲饗庭伸さん(あいば・しん)。東京都立大学都市環境学部都市政策科学科教授。1971年生まれ。専門は都市計画・まちづくり。人口減少時代の都市のあり方を「スポンジ化」の概念で論じた『都市をたたむ』などの著書で知られる。※所属先・肩書きは取材当時のもの
都市の「スポンジ化」による余白は、嘆かずに使う
――先生は都市の「スポンジ化」という考え方を示されています。改めて、どのような現象なのでしょうか。
饗庭:人口が減り、世帯数も減り始めると、一戸建て住宅地の中に、空き家や空き地がぽつぽつと出てきます。土地に市場価値があれば、しばらく空き家になっても、また誰かが買って住むことがあります。でも、そうならない場所では、空き家がそのまま残り、やがて空き地になっていく。しかも住宅地では、住民の年齢もバラバラですから、空き家や空き地は一ヵ所にまとまらず、街のあちこちに小さく現れます。これがスポンジ化です。
ただ、街に穴が空いていくことを嘆いていても仕方がありません。大事なのは、その余白をどう使うかです。たとえば、自分の家の前に空き地ができたら、草を刈って花を植えるだけでも、毎日の景色は少し良くなります。また、空き家を集会所のように使うこともできます。行政は今でもお金を払って土地を買い、公園をつくっていますが、地方では「いらないから、誰かもらってほしい」という土地も出てきている。そうした土地をうまく受け取り、少し手を入れれば、これまでよりずっと安く、緑の空間をつくることもできます。残っている人たちが、余白を使って、いかに良い街を手に入れるか。そこが大事だと思っています。
▲空き家を壊し、小さな広場を作った事例
画像提供:饗庭伸先生
▲空き家を活用して地域の拠点をつくった事例
画像提供:饗庭伸先生
――余白には、他にどんな使い道があるのでしょうか。
饗庭:たとえば高齢化が進むと、住宅地の中に小規模多機能型の施設やグループホームが必要になります。そういう新しいニーズを拾いやすいのは、むしろスポンジ化した街なんです。スポンジだけに、いろいろなものを吸収できる。
また、厳密には「空き家」ではありませんが、東京の世田谷区では、自分の家の空いた一部分を地域に開放していく「地域共生のいえ」づくりを進めており、そこでは創意工夫に富んだ、多様な取り組みが展開しています。
一方で、超高層マンションが立ち並ぶガチガチに固めた街では、家賃も高く、そうした機能は入りにくいといえます。空き住戸はあっても、街なかの空き家や空き地のように、第三者が気軽に使うことはできません。
▲饗庭さんは、人口減少時代の都市のあり方を「スポンジ化」の概念で提示してきた
東京はすでにコンパクトシティである
――マンションが集まる都市部とコンパクトシティの関係は、どう考えればよいでしょうか。
饗庭:まず、東京はすでにコンパクトシティなんです。コンパクトシティは、政策としては地方都市に向けた話ですが、東京では多くの人が自家用車ではなく、電車や徒歩で移動しています。自動車より先に私鉄が発達し、満員電車で通勤することが、良くも悪くも都市の文化になりました。公共交通で動き、よく歩くという意味では、東京は環境的にコンパクトです。住宅地の密度も高いですね。
歴史的に見ると、1960年代以降、都心では住宅がオフィスや商業施設に置き換わり、人は郊外へ広がっていきました。いわゆるドーナツ化です。その後、バブル崩壊を経て、2000年代に都心部で集合住宅の供給が増え、都心回帰が進みました。
それを引っ張ったのは、間違いなくマンションです。都心の区が、住宅をつくれば容積率を上乗せする政策で後押しした面もあります。
――地方でも同じことが起きるのでしょうか。
饗庭:地方でも、2000年代後半くらいから駅前マンションが増えています。駅直結の便利さが分かれば、やはり売れますよね。雪国なら、雪下ろしをしなくていいという魅力もあります。基本的には、東京で起きたことが少し遅れて地方でも起きているのだと思います。
ただ、タワーマンションがコンパクトシティに必須というわけではありません。むしろ、都市がコンパクトになってきたから、タワーマンションが建てられるようになる。売る側と買う側の判断が積み重なって、都市の形は少しずつ変わっていくのです。
▲饗庭さんは「東京はすでにコンパクトシティ」と指摘する
理想は、小学校区ほどの生活圏に多様な空間が混ざること
――余白のある街と、資本が集中する街。どちらが望ましいのでしょうか。
饗庭:課題によって、解きやすい街の形は違います。たとえば大規模なホールのようなものは、一戸建ての郊外住宅地にはつくれません。人が集まる場所に、大きな資本を入れてつくるものです。
一方で、福祉のような課題は、資本が集中した街よりも、余白のある街のほうが解きやすい。小規模な施設や居場所は、空き家や空き地がぽつぽつあるような街のほうが入りやすいんです。
小学校区ぐらいの広がりの中に、タワーマンション的なものと、そうではないものがうまく混ざっているくらいが街としては理想的ですね。全部がタワーマンションになると、余白がなくなります。反対にすべてが一戸建てだと、もう大きな機能は入ってきません。
人間が日々実感できる生活空間は、それほど広くありません。その中に、さまざまな家賃、さまざまな機能、さまざまな大きさの空間があることが大事なのだと思います。
――東京は、その条件を満たしていますか。
饗庭:東京は、わりとよくできていると思います。タワーマンションもあれば、一戸建てもあり、路地のような場所もあります。中央線の高架から中野あたりを見ると、低い家並みが続いた中に、ぴょこっと高い建物が立っていますね。あのような景観は、かなり日本的です。都市計画が強くコントロールしすぎなかった結果、人々が小さくつくった場所と、デベロッパーが大きくつくった場所が混ざっています。
▲東京・中野周辺の、夜の風景。高層マンションから低層の住宅まで、多様な建物が連なる
画像提供:饗庭伸先生
▲東京都中央区・住吉水門のあたりの風景。異なる規模の建物が共存する
画像提供:饗庭伸先生
そのおかげで東京では、タワーマンションに住む子どもと、アパートに住む子どもが、同じ公立小学校で同じクラスになることがあります。もし空間が完全に分かれてしまえば、お互いを知らないまま格差が広がってしまいます。都市が荒れないためにも、うまく混ざっていることが大事だと考えています。
マンションは「循環する資産」になる
――コンパクトシティ化が進む社会で、マンションにはどのような役割が期待できますか。
饗庭:日本のマンションは、比較的小ぶりな住戸が数多く供給されてきました。そのため、一戸建てに比べて流通しやすいという特徴があります。一戸建ては土地や建物にそれぞれ条件や個性があるため、売るのも買うのも簡単ではありません。一方、マンションはそうした摩擦が比較的少ないのです。
たとえば、さまざまな都市で60㎡程度のマンションが手の届く価格で流通するようになれば、暮らしを柔軟に調整しやすくなります。子どもの成長や親との同居、転職など、ライフステージの変化に合わせて住み替えられる。
マンションは流通しやすく、資産価値も比較的見通しやすい「読める資産」として残り、循環しながら、人々の課題解決を支えるものになるのではないでしょうか。
――最後に、コンパクトシティ化する社会で「豊かに住まう」ためのヒントをいただけますか。
饗庭:人口は増えすぎても、減りすぎてもだめなんです。大事なのは、できるだけ安定していることです。人口が急に増えれば、小学校や道路や公園を急いでつくらなければいけない。反対に急に減れば、それらを維持できなくなります。あるものを長く使える状態が、空間へのコストを一番小さくします。
人はそれぞれ、違う課題や欲望を抱えています。福祉を必要とする人もいれば、最先端の美術を見たい人もいる。それらを一つの空間の中で、どう合理的に解いていくか。それが都市計画です。
小学校区ぐらいの範囲の中に、余白もあり、循環するマンションもあり、いろいろな空間が混ざっている。さまざまな問題に素早く応えられる状態こそが、豊かに住まうということではないでしょうか。
▲饗庭さんは、「マンションは流通の摩擦が少なく、たとえば60㎡程度の標準的な規格で、循環しうる資産になる」と語る
取材・文:小野悠史 撮影:宗野歩
WRITER
不動産業界専門紙を経てライターとして活動。「週刊東洋経済」、「AERA」、「週刊文春」などで記事を執筆中。X:@kenpitz
おまけのQ&A
- Q.暮らす場所としておすすめのコンパクトシティはありますか?
- A.饗庭:私の出身地でもある阪神間(兵庫県南東部の、大阪市と神戸市に挟まれた地域)は山と海があって、なかなかバランスがとれていると思います。大阪に働く場所が多いため、そこで働きながら落ち着いた住宅地に住むという選択がとりやすいです。北方に山が迫っており、市街地のエッジがはっきりしているので、だらだらと広がらずサステナブルな街になっていると思います。
コンパクトシティはなぜ失敗・長期化する? 富山の成功例と10年の「社会実験」が出した答え