長谷工コーポレーションが開発した安全支援アプリ「ゲンバノメ」。現場写真から生成AIが潜在リスクを可視化する画期的なツールの開発背景と、長谷工が目指す建設DXの未来像について、技術推進部門・情報戦略室の奥村靖彦さんに話を聞きました。
写真から現場の潜在リスクを即座に可視化。安全支援アプリ、ゲンバノメ
――長谷工コーポレーションでは、2025年9月から首都圏の建設現場で生成AIを活用したアプリケーション、ゲンバノメを導入しています。目的や仕組み、このアプリでできることを教えてください。
奥村靖彦さん(以下、奥村):ゲンバノメは、生成AIの画像認識およびテキスト生成能力をフル活用した安全支援アプリケーションです。長谷工コーポレーションが独自開発し、社内の施工管理者向けに展開しています。
最大の特徴は、建設現場における現在の状況をAIに読み込ませ、即座に潜在的なリスクを可視化する点です。アプリに「現場の写真・現在の天気と気温・工種や作業内容のテキスト(補足情報)」を入力・送信すると、生成AIが画像を解析します。その日の天候や作業内容と掛け合わせた具体的なリスクと、取るべき対策がリストアップされ、回答として戻ってきます。
たとえば、気温が25度を超える日の、基礎工事の写真であれば、熱中症リスクへの警戒を促してくれるといった具合。重機が写り込んでいれば、重機の旋回範囲内における作業員との接触リスクを指摘します。また、“杭の穴”といった現場特有の形状も高い精度で認識し、転落防止の注意喚起を行います。
▲ゲンバノメはシンプルな入力画面となっている
▲ゲンバノメに入力した内容を送信すると、具体的リスクなどが記された回答が返ってくる
▲ゲンバノメのシステム概要
▲ゲンバノメのシステム活用概念図
さらに、2026年3月のアップデートで、長谷工社内に蓄積されている、過去の災害事例データとのリンク機能も追加しています。AIが抽出したリスクに対し、過去に社内で発生した類似の事故事例を2件ほど紐づけて提示し、ワンタップで詳細なPDF資料を開けるようにしました。これにより、AIの一般的な回答が長谷工のリアルな教訓へと昇華され、現場での説得力が向上しています。
▲奥村靖彦さん。長谷工コーポレーション 技術推進部門 情報戦略室。2002年に長谷工コーポレーション入社。関西および関東の現場で約15年間にわたり施工管理の実務に従事する。現場歴15年、ICT・DX歴10年というキャリアを活かし、現場感覚と最新のIT技術を融合させたデジタル戦略を牽引する。※所属・肩書は取材当時のもの
若手メンバーの提案が突破口に。ハルシネーションの壁が生んだ発想の転換
――はじめから、現場の安全管理をサポートしたいという方向でゲンバノメ開発に挑んだのでしょうか。
奥村:じつは、最初から安全管理を目的としていたわけではありません。もともとは、長谷工グループとして、生成AIをどう業務に活かすかという模索からスタートしています。
3年ほど前から参加している、約40名からなる横断的な組織・情報通信部会を中心に、さまざまなアイデアが試されていたのですが、当初私たちDX推進部(現在の情報戦略室)が考えたのは、情報を抽出することでした。当時は、膨大な技術資料の中から必要なデータを検索したり、BIM(Building Information Modeling:建物の3次元モデル)データと対話して設計図書の内容を読み解いたりするシステムの構築を目指していました。これにより、現場の監督者が探すことにかける時間や、設計担当者に問い合わせる時間を劇的に削減できると考えたのです。ただ、結果的には、現段階ではさらなる技術の進展が必要だという判断に至りました。
――何が一番のハードルでしたか?
奥村:生成AI特有の、ハルシネーション(もっともらしい嘘)です。たとえば、技術資料から情報を引き出す際、もっともらしい文章を作る過程で数字を間違えて出力してしまうことがありました。建設現場において、寸法のミスや仕様上の数値の間違いは、致命的な施工不良や事故に直結します。現場の人間にとって、絶対の正解が求められる領域に確率論で動くAIを持ち込むことは、リスクが高いと判断しました。
――そこで方向性をシフトし、安全管理に着目したと。
奥村:はい。「AIに正解を求めるのは、今の技術ではまだ厳しい。ならば、AIの創造性や発想の飛躍が、プラスに働く領域はないか?」と考えました。この発想の転換をもたらしてくれたのは、ジョブローテーション制度によってDX推進部に期間限定で配属されていた若手メンバーです。彼の「安全管理の分野に目を向けてみてはどうか」という提案が、プロジェクトの舵を大きく切るターニングポイントになりましたね。
▲AIの活用について奥村さんは「正解を見出すのは難しいが、期待は大きい」と話す
マンネリ化する危険予知に、AIの多角的な視点を
――安全管理の分野に着目し、最終的に「建設現場の潜在的なリスクを可視化するアプリ」にたどり着くまでの経緯を教えてください。
奥村:安全管理の領域に目を向けたとき、建設現場には長年抱え続けている慢性的な課題が存在していることに気づきました。そのひとつが、KY(危険予知)活動のマンネリ化です。建設現場では毎朝、元請けからの全体指示に加え、鉄筋工事や型枠工事といった協力会社の職人たちが輪になり、その日の作業に潜む危険を共有し合うKY活動が行われるのですが、毎日書類に手書きでリスクを記入するこの作業は、次第に形骸化していく傾向にありました。毎日判で押したように「足元注意」「手元注意」と同じ文言ばかりが並び、真の危険予知として機能していないケースが散見されたのです。
この実態は、過去のデータを見ても明らかでした。長谷工が過去の災害事例と、その日の朝に書かれたKY活動の記録を照らし合わせた結果、実際に起きた事故のうち、朝のKY活動でその危険性が予測・記載されていたのは全体のわずか25%に過ぎず、残りの75%の事故は、KY活動の想定外のところで起きていました。日々のKY活動が形式的なものになってしまうと、現場で起きうる危険を十分にすくいとれなくなるおそれがあります。
――元請けである長谷工がKY活動の指揮をとることは難しいのでしょうか?
奥村:もちろん、私たちも過去の事故事例をポイントごとに発信しています。ただ、現場は常に多くの職方が作業しており、全協力会社の、それぞれの作業内容に完璧に合致したピンポイントの警告を、毎日人の手で出し続けることは不可能に近いです。ここで、生成AIの「状況を読みとり、多様な可能性を提示する力(創造性)」が活きるのではないかと考えました。定型文になりがちな人間の思考に対し、AIが現場の写真というリアルな一次情報から、多角的な視点で気づきを与える。これがゲンバノメの根幹となるコンセプトです。
▲ゲンバノメの利用により、リスク検討時間の短縮効果も得られたという
指摘の心理的ハードルを下げる。若手施工管理者の“相棒”としてのAI
――2025年9月から導入されていますが、現場のゲンバノメへの反応はいかがですか?
奥村:2025年9月のリリース後、アプリは現場監督を担う長谷工の社員に配布されています。実際に使われ始めると、このアプリが単なるリスク発見ツールを超えた、重要な副次効果をもたらすことが分かってきました。それはコミュニケーションの触媒としての役割です。
現在、このアプリのメイン利用者は、入社1年目から5年目程度の若手施工管理者たちです。建設現場は熟練の職人や協力会社のベテランなど、年齢も経験も大きく異なる人々が混在する社会ですから、経験の浅い若手が、自分より何十歳も年上のベテラン職人に対して「そこ、危ないですよ」「この配置はリスクがあります」などと直接指摘するのは、心理的なハードルが非常に高いわけです。
しかし、ゲンバノメを使うことで“自分が指摘する”という構図が変わり、「AIで写真を読み込んだら、こういうリスクが出てきましたが、一緒に確認してもらえませんか?」といった具合に、“AIがこう言っている”という第三者の客観的な意見として伝えることができるのです。
――AIからのメッセージとして伝えることで、角を立てずに安全に関する対話を始めやすくできると。
奥村:そのとおりです。デジタルネイティブである若手層が、スマートフォンを片手に現場を巡回し、AIをダシにして職人とのコミュニケーションを図る。人数が限られ、上司がつかまりにくい環境において、いつでも意見をくれる“AIという相棒”の存在は、若手の心理的平穏と現場の風通しの良さに大きく貢献できると考えています。
一方で、課題もあります。特にベテランの社員からは「当たり前のことしか言わない」「写真の読み取りがまだ甘い」といった厳しい意見も聞こえてきます。もちろん精度はさらに高めていく必要がありますが、現時点ではAIが100点の正解を出すことよりも、まずは使ってもらうことに意義がある。AIの出力結果を見て「いや、それよりもこっちのリスクの方が高いだろう」とベテランが口を開き、若手に指導を行うきっかけになれば、よりリスク予測の精度が高まっていくのではないかと考えています。
▲奥村さんは、「安全確保のために会話してもらうことが大切」だと考えている
開発の内製化で現場の声をダイレクトに。ITと建設の壁を越える新体制
――ゲンバノメ以外にも、情報戦略室として検討しているAI活用のプランや戦略があれば教えてください。
奥村:先ほども申し上げたように、生成AIは確率論に基づいて回答を生成するため、厳密な正解を導き出すのが難しく、ハルシネーションのリスクがあります。しかし、社内の期待値は高いため、RAG(検索拡張生成)などハルシネーションを抑える技術動向を注視し、実用化を探っていきたいと考えています。
AIの回答精度を上げるには、良質なデータベースとの連携が不可欠です。たとえば「各現場の工程表を確認したい」といったニーズに応えるため、まずはAIが読み込める社内データの構築・整備に注力する必要があります。その上で、将来的には、チャットを通じて対話形式で社内データを引き出せる環境を目指したいですね。
また、将来的には現場の負担を直接的に減らす「AIエージェント」の実現も見据えています。たとえば、現場の工程表データとAIを連携させ、必要な資材の発注をAIが自動で行い、人間は最終確認のボタンを押すだけにする。あるいは、現場に設置された防犯カメラの映像をAIが常時監視し、リアルタイムで安全アラートを出すといったことまでできるようになれば、より多くの建設業界の課題を解消していけるのではないでしょうか。
――これらを実現するための具体的な動きはありますか?
奥村:現在、長谷工ではアプリの運用保守体制そのもののアップデートにも着手しています。長谷工に限らず、これまで建設業界のDXは、外部のITベンダーに開発を依頼することが多かったのですが、開発したアプリをリリースするとさらなる機能改善の要望も多く、都度スピード感を持って対応することに大きなハードルがありました。そこで、社内にITの専門知識を持つ人材を採用し、内製化の比重を高めています。現場の生の声を理解し、ダイレクトにシステムの改善に反映できる体制を築くことで、AIの実装スピードと精度を引き上げようとしているのです。
▲「改善を行いやすくするための組織改革も、建設DXの推進には欠かせない」と奥村さん
――AI活用や建設DXをお題目にとどめず、本気で現場にインストールしようという姿勢が伝わってきます。
奥村:長谷工グループにおけるAI活用は、単にトレンドに便乗したものではありません。設計から施工までを一元管理する同社の強みを活かし、BIMの全社導入を推進してきたように、AIという不確実な技術を現場で使えるかたちに落とし込むための試行錯誤も、重ねていきたいと思っています。
取材・文:榎並紀行 撮影:ホリバトシタカ
WRITER
編集者・ライター。編集プロダクション「やじろべえ」代表。住まい・暮らし系のメディア、グルメ、旅行、ビジネス、マネー系の取材記事・インタビュー記事などを手がけている。X:@noriyukienami
おまけのQ&A
- Q.ゲンバノメを日常業務の中で定着させていくためには、どのような工夫が必要だとお考えですか。
- A.奥村:現状は利用の義務化はされていないゲンバノメですが、若手メンバーから活用アイデアを募集し、業務に落とし込むことを検討したいと思っています。たとえば朝礼や安全衛生協議会で活用するなど、使う機会を創出する仕掛けが必要だと感じています。
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