1980年代には多くの企業が保有していた社員寮や社宅。バブル崩壊を機に「持たざる経営」へとシフトし、手放す企業が相次ぎました。こうした中、創業当初から寮や社宅を自社で保有し、今なお増やし続けているのが、数々のゲームコンテンツを世に送り出してきたコーエーテクモホールディングスです。なぜ社員の「住まい」に投資を続けるのか。襟川芽衣さんと大江宏さんに聞きました。
なぜ社員の「住まい」に投資し続けるのか
――創業当初から社員寮を整備し、現在も社員寮や社宅を増やしているとのことですが、なぜ社員の住まいに投資を続けてきたのでしょうか?
襟川芽衣さん(以下、襟川):ゲーム業界の歴史は浅く、現在45年ほどです。当社もその頃からゲームを作ってきましたが、当時はゲーム会社というものが世間からそこまで認知されておらず、社員の親御さんたちから心配されるようなこともあったと聞いています。住環境をしっかり整えるということは、会社が社員の生活までサポートする姿勢の表れです。現在、取締役名誉会長の襟川恵子は「ご家族に安心してもらうためにも力を入れてやっていかなければならない」と常々話してきました。
今では「ゲーム会社だから心配」という風潮はありませんが、整った生活をした上で、楽しく仕事につなげてもらいたいという気持ちは創業当初と変わっていません。業界の方からは「今どき寮や社宅を建設するなんて」と言われることもあったようです。ただ、役員や管理職の中には入社当時に社員寮で暮らし、「助けられてきた」という思いを持つ者も少なからずおり、これまで社内では、「(寮や社宅は)不要なんじゃないか」「整理しよう」という議論が起こることなく、物件を保有し続けてきました。
大江宏さん(以下、大江):一棟丸ごと自社寮であれば、同世代の社員がまとまって住んでいますから、自然と仲間意識が生まれます。退勤後や休日には、各人の部屋や共用のプレイルームに集まってコミュニケーションを取ることもできます。家賃補助や借り上げ社宅の場合、金銭的には社員の助けになるでしょうが、本人が住まいを探す手間がかかりますし、こうした社員同士のつながりは育まれにくいでしょう。
▲襟川芽衣さん。コーエーテクモホールディングス常務取締役CSuO。不動産事業の他、女性向け恋愛ゲームを手がける部門「ルビーパーティーブランド」など、複数の部門を統括する※所属先・肩書きは取材当時のもの
――自社保有には維持・管理の負担も伴います。これが多くの企業が「持たざる経営」を選んだ理由の一つとも思われますが、どのように向き合っていますか?
襟川:創業当初から、すべて自社で管理してきました。そのために当社には「不動産部」があります。ただ現在は、社員寮が414室、社宅も3棟と数が多いので、管理会社の力も借りながら運用しています。
大江:当社の場合、オフィスもすべて自社で所有・管理しており、建物の維持・管理のノウハウがかなり蓄積されています。寮や社宅も、一般的な水準よりコストを抑えて管理できていると思います。
▲大江宏さん。一級建築士で、コーエーテクモホールディングス執行役員・管理本部不動産部長。建築業界から2003年に転職し、KTビル(コーエーテクモゲームス本社)の建設に設計から関わり、社員食堂や職場環境の充実に尽力している。※所属先・肩書きは取材当時のもの
美意識が息づく空間と、物件選びの条件
――時代とともに、寮や社宅に求められるものはどう変わってきましたか?
襟川:建物の定期的なメンテナンスや入退去時の補修はもちろん、大規模なリノベーションも進めています。この3年ほどで、多くの部屋をスケルトンまで戻し、床・壁・天井から水回りまでフルリフォームしてきました。やはり補修やメンテナンスだけでは、今の暮らしで求められるニーズには応えられませんからね。プレイルームなどの共用部も定期的に改修しています。
大江:古い物件は築40年ほどになりますから、当時と今とでは求められるものが大きく変わっています。先日、フルリフォームした部屋に新入社員とその親御さんが内見に来られたのですが、親御さんは「こんなところに住めるのか」と驚かれていました。特に最近は家賃が顕著に上昇していますから、寮や社宅を整備している点を評価していただけることは多いですね。
――寮や社宅は長期にわたって保有し続けることになります。物件選びの基準はどこに置いていますか?
襟川:一番は通勤のしやすさです。駅から徒歩10分以内を目安に、いずれの寮・社宅も社員が通勤しやすい立地を重視しています。
今のところ手放すつもりはありませんが、やはりリスク管理という観点からも、資産価値が目減りしにくい立地という条件は譲れません。最も古い物件はバブル崩壊前後に取得しましたが、以降も一定の資産価値を保ち続けています。また、快適な暮らしに直結する遮音性や断熱性も重視しています。物件概要や施工会社の名前で判断するのではなく、必ず現地に足を運んで、建物のグレードや施工の完成度を確かめるようにしています。
大江:取締役名誉会長の襟川が美大出身ということもあって、寮や社宅、オフィスには絵画や調度品が数多く飾られています。ゲーム会社のエントランスというと、自社タイトルのキャラクターパネルや映像が定番だと思いますが、当社のエントランスは感性に働きかける空間づくりを心掛けています。実際、美術館と間違えて入ってこられる方がいるほどです。
▲KTビルのエントランス。地球上で最大級の動物(ゾウ)と、力強さを象徴する動物(ライオン)をモチーフにしたという壁面アートが印象的だ
大江:アートを見て何を感じるかは人それぞれです。美しいものに触れ、感性を磨く一助になれば、という思いが込められています。
襟川:壁紙や設備などの内装も、一つひとつこだわって選んでいます。キッチンを使いやすいように少し大きくしたり、木の質感で統一感を出したり、寝室だけ壁紙の色を変えて落ち着ける空間にしたり。見た目の美しさだけでなく、暮らしやすさや心地良さにも配慮しています。
▲社宅の一室。キッチンの面材がフローリングと同系色の木目調のものでまとめられており、統一感がある
画像出典:コーエーテクモホールディングス
▲社宅の個室玄関は、木目の扉や大理石調の床で、ラグジュアリーな雰囲気となっている
画像出典:コーエーテクモホールディングス
▲社宅において十分な収納を確保している点も印象的だ
画像出典:コーエーテクモホールディングス
▲寮の一室。自炊可能なキッチンも備えている
画像出典:コーエーテクモホールディングス
▲寮の一室。扉はフローリングに合わせてシックな色合いとなっている
画像出典:コーエーテクモホールディングス
▲寮の風除室
画像出典:コーエーテクモホールディングス
▲寮の全景。整った空間が社員の毎日を支える
画像出典:コーエーテクモホールディングス
「住む場所」を整えることは、人材への投資になるのか
――家賃が高騰し、企業の人材獲得競争も激しくなっています。こうした中で寮や社宅はどのような意味を持ちますか?
襟川:当社には、遠方や海外から入社してくれる方も少なくありません。こうした方たちがまず困るのは、住む場所です。地方から出てこられると、横浜や都内の賃料は地元とはまるで違いますし、土地勘のない場所で部屋を探すのも大変だと思います。住まいの心配なく、自分の好きなゲームの仕事に集中できるとなれば、社員寮が会社を選ぶ大きな理由の一つになるはずです。実際に「社員寮があって良かった」という社員の声は多く聞かれます。
大江:社会に出る前の学生にとって、敷金・礼金といったまとまった初期費用を用意するのは簡単なことではありません。当社の寮であれば、引っ越し代や交通費の負担こそありますが、初期費用はゼロ。インターネットも完備されていて、会社で鍵を受け取ったその日から住み始めることができます。実際、毎年の新卒約200名のうち100名ほどが遠方からの入社で、入寮を希望する社員は非常に多いですね。
――人材の定着にも寄与していますか?
襟川:厚生労働省の令和6年雇用動向調査によれば、一般労働者の離職率は11.5%ですが、当社は4.3%(令和7年度)。これは全社員を対象とした数値で、入社数年以内に絞ればさらに低い水準になります。好きなことを仕事にできるということが大きいとは思いますが、社員寮や社宅の整備をはじめ、経営基本方針の一つである「社員の福祉の向上」を重視してきたことも、社員の定着につながっていると考えています。働きやすい職場環境を整えるだけでなく、社員食堂の運営や社員同士のサークル活動への助成、産業保健体制の強化などを通じて、社員の暮らしや健康を支える取り組みも続けてきました。こうした積み重ねもあり、2026年には2年連続で「健康経営優良法人」の認定を受けました。
元気に明るく、前向きに仕事ができなければ、良いゲームは作れません。健康な心と体があってこそ、開発にもビジネスの学びにも向かう活力が生まれます。その意味で、住まいを含めた社員の福祉の向上は、最高のコンテンツを生み出すための礎と考えています。
▲襟川さんも美大出身。寮や社宅にもしばしば足を運び、現状の課題の把握やリノベーションプラン策定にも携わっている
▲KTビルのカフェテリア(社員食堂)。広々とした空間で、栄養バランスに配慮したメニューを提供している
――ここまで社員を大切にする理由は?
襟川:当社は、創業当初から社員を家族のように思ってきた節があります。かつては、社員が会社に泊まり込んで徹夜でゲームを作り、三度の食事も共にしていたと聞いています。もちろん今はそのような働き方はしていませんが、社員を家族のように思う精神はいまだに持ち続け、心身の健康までサポートすることを大切にしています。
大江:まだ会社が小さかった頃、業績も良く、給与もしっかり支払っていたにもかかわらず、社員が辞めていってしまうことが続いた時期がありました。当時、何が足りないのかを突き詰めた結果、社員同士のコミュニケーションが不足していたことに経営トップが気づいたと聞いています。かつては社員旅行を実施したり、現在は新入社員歓迎会や忘年会を帝国ホテルで開催したりと、社員同士が交流できる機会が設けられています。私も社員に長く働いてもらうためには、職場の働きやすさだけでなく、コミュニケーションを深める機会や暮らしを支えるサポートも欠かせないと考えています。
▲大江さんは一級建築士ということもあって、オフィスや寮・社宅のデザイン、内装にもこだわっているという
成長を見据え、寮・社宅への投資を続ける
――地価も建築費も高騰しています。それでも自社保有と投資を続ける理由は?
襟川:現在、当社では新卒を中心に毎年200人前後を採用しており、2026年3月31日時点の社員数は2,835人です。将来的には5,000人規模を目指しているため、今後も寮や社宅の取得・建設を進めていく方針です。
ただ、近年は地価や建築費が大きく上昇し、条件に合う土地を確保することが難しくなっています。ほとんどの寮や社宅は、用地を取得し、一からプランニングして建設してきましたが、直近に竣工した社員寮については建設途中で取得しました。状態の良い中古物件を取得し、自社で改修することも視野に入れています。
また、既存物件の改修やリニューアルの費用も毎年しっかり計上しています。最近はリフォーム費用も上昇していますが、新規で物件を取得するより圧倒的に安く、社員の生活の質を向上させるための必要経費でもありますからね。
――AIの活用が進む中でも、人への投資は変わらないのでしょうか?
襟川:AIが生み出したものをどの段階で完成と判断するかは、人間が決めなければなりません。ゲームの根幹を定め、プロデュースやディレクションを担うのもまた人間です。一人のプロデューサーが一つのゲームを作れるようになれば、社員の数だけゲームを生み出せる時代になるかもしれません。AIによって仕事の進め方は変わっていくでしょうが、人が必要であることに変わりはありません。だからこそ、社員が健康で前向きに働ける土台となる「住まい」への投資をこれからも続けていきます。
▲取材させていただいたKTビルの応接室は天井が非常に高く、腰壁がしつらえられた壁面には美しい絵画が飾られていた。随所に美意識が感じられる、まさに美術館のような空間だった
取材・文:亀梨奈美 撮影:ホリバトシタカ
おまけのQ&A
- Q.自社で用地を取得してプランニングする場合と、建築中あるいは竣工後の物件を取得する場合ではどのような違いがありますか?
- A.襟川:建設中や竣工後の物件を取得する場合、もともと寮や社宅として計画された物件でなければ、プレイルームなどの共用施設がないことが多いですね。社員だけが暮らす建物ですから、できれば交流の場となる共用施設を設けたいという思いはあります。一方、こうした物件は、当社が一から建設する社員寮と比べて居室が広く、設備や仕様のグレードも高い傾向にあり、その点は入居する社員の満足度にもつながると考えています。
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